前回書いた「露助(ロスケ)だけは絶対に信用するな」との岳父の遺言(?)と全く同じ言葉が藤原正彦の新著「美しい日本の言霊」(PHP新書)に出てくる。藤原の父・新田次郎の言葉としてである。この想いは、いわゆる「シベリア抑留」を経験した人全てに共有されているのだろう。まあ要領よく共産党の手先となった者を除いては。残された母・藤原ていは、満洲から、艱難辛苦の末、子供を連れて引き揚げたことはベストセラーとなった「流れる星は生きている」に詳しい。

今回はそれがテーマではない。「歌謡曲から情緒が見える」(副題)ことがテーマだ。藤原と私は7歳違う。この7歳は小さくない。幼児とはいえ戦争を経験しているからだ。ことに藤原の場合、満洲からの引き揚げという凄まじい体験をしている。そのせいか、歌謡曲の好みがかなり違う。例えば軍歌「空の神兵」まで入っている。

 

そんな思いの中、第四章「恋に恋する日々」で一変する。「私が好きななのは(グラシェラスサーナ。ちょっとぎこちない日本語が、味になっている」。このコメント に深くうなずく。ただし、私は「アドロ」や「サバの女王」に対してであって、著者は、昼夜分かたず数学に青春を捧げていた頃、学会の帰りの新幹線でずっと口ずさんでいた「白い想い出」についてである。昭和38年にダーク・ダックスがヒットさせたとのことだが私はこんな曲があったことすら覚えていない。そこで最近マイ・ブームのTVでのYouTubeだ。まずダーク・ダックスのを聴く。確かに覚えがある。

 

雪が降ってきた

ほんの少しだけど

私の胸の中に

積もりそうな雪だった

幸せをなくした

黒い心の中に

冷たくさびしい

白い手がしのびよる  〈1番〉 (作詞・作曲:山崎唯)

 

著者は大学で専門課程に進んだばかりで、恋に恋していた自身の気持ちと重なったのだ。詩は淡い恋を失った場面を謳うが、2番以降「灰色の雲が私に教えてくれた 明るい陽ざしがすぐそこに来ていると」という歌詞の繰り返しで、どんな辛い恋にも、どんな長いトンネルにも、必ず出口はある、と希望を見い出す。ここまでは誰にも理解できる。しかし、著者はこの詩の描く「どさっと積もっているのではなく、降り始めのほんの少しだけ、微妙な厚さと色合いで積もっている」雪は、福田平八郎という日本画家の描く「日本的情緒の真髄を表現」した雪と見事に重なるという。ここまで来ると、著者の感性は!と唸るしかない。

YouTubeに戻すと、ジョーン・シェパード(千昌夫と結婚)など様々なカバーがあるが私もグラシェラ・スサーナがベストと思う。ただ、私が今日熱中したのは「白い想い出」ではなく、やはり「アドロ」「サバの女王」という外国曲に日本語詞を付けたものだ。私は著者と違い、日本の歌謡曲より欧米のポピュラーソングの方が好きな(ものが多い)のだ。「ぎこちない日本語」は日本人歌手なら作詞家や作曲家が絶対許さなかっただろうが、著者同様私もそれを愛する。魅力は、アルゼンチン育ちの彼女を菅原洋一が見初めて日本に連れてきたことからもわかるように、無論、「ぎこちない日本語」ばかりではない。彼女には哀切漂う声・歌唱の魅力があった。

そしてこの章で曲も詞も好みが一致したのが、「22才の別れ」と「なごり雪」で、共に伊勢正三の作詞・作曲によるものだ。後者はかぐや姫として発表されたが、ヒットさせたのはイルカで、彼女の代表曲というより日本のフォークソングの代表曲となっている(少なくとも私はそう評価する)。かぐや姫はリーダー南こうせつ作曲の「神田川」が空前のヒットとなったが、私はあまり好きではない。だから伊勢正三を極めて高く評価する。「22才の別れ」「なごり雪」共に女性が心ならずもボーイフレンドを振って旅立つ(結婚もしくは故郷に帰って就職)という内容の詩だ。なぜ「22才」なのか。今の人にはわかりにくいだろう。「まだ22歳の女性がこれほど切羽詰まったことを言うのだろうか。当時は20代前半が女性の結婚適齢期と言われていたからである。22歳というのは、女性にとって微妙な年齢だった。・・・当時の女性の多くは、非情な割り切りを家族や社会から要求されていたのである。私のように、この非情な割り切りに泣かされた男性も同じ数だけいた」ということを知らなければこの詩の本当の理解はできない。まあ、私には縁の無かった世界ではありますが。

 

そしてさらに著者と思いを一つにするのは第五章「情緒の核心は『懐かしさ』」に出てくる「紅葉」だ。「秋の夕日に照る山紅葉」と山の景色を遠景としてとらえ、2番では「渓の流に散り浮く紅葉」と近景として渓流を歌っている。そして「何より特徴的なのは文語の美しさが際立っている」とする。全面的に賛同する。このコンパクトな詩的表現が説明調となるのを防ぎ詩の美しさー情緒を高める。著者は「文語は日本人がつくり出した芸術性の高い優れた表現様式」とする。私は詩(韻文)に関しては全く同意するが、著者は散文でもそうだと主張する。アンデルセンの「即興詩人」は英語だと三文小説だが、翻訳者森鴎外の格調高い文語体により「一気に」芸術性を有する文学作品に昇華された、という。

日本の植生の豊かさは世界一で、紅葉狩りは日本独特の文化である。なぜなら欧米の「紅葉」は単調で、「濃いも薄いも数ある中に」「赤や黄色の色様々に」とは決してならないからだ。そしてこの「紅葉」の作詞者高野辰之はわが信州中野市の出である。