日々TVで目にするパレスチナ・ガザ地区における、戦闘員でない女性・子供など一般市民をなぶり殺しージェノサイドとしか言いようのない惨状の加害者が、逆にジェノサイドの被害者であったユダヤ人であることからは、戦闘における人間共通の残虐性かとも思える。

 

しかし、更なる惨状を呈した戦場があった。その地は満洲、加害者はソ連、被害者は日本人である。これの詳細を教えてくれるのが、麻田雅文著「日ソ戦争」(中公新書)である。「日ソ戦争」とは聞きなれないが、歴史の教科書で「太平洋戦争の末期(米軍の広島への原爆投下3日後)、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して満洲に侵攻を開始した」とのみ記載されている、その戦争だ。(この戦後作られた「太平洋戦争」という用語にも私は否定的だ。戦前公式に使われていた「大東亜戦争」が正しく戦闘地域を表している。)この(日本にとって)ソ連の突然の満洲侵攻に大本営は「満洲を放棄して朝鮮を守れ」と関東軍に命じた。関東軍によって満洲全土を占領(「満州事変」1931年)し満洲国という傀儡国家を建国してはいても、日本領土ではない。それに対し、朝鮮は「皇土」であったからである。

ソ連軍侵攻したとき、関東軍の「防衛召集」もあり、満洲の街や村に残されていたのはほとんど老人や子供・女性といった非戦闘員だけだったにもかかわらず無差別攻撃を受けた。占領後もソ連軍の蛮行は続く。17歳以上の男性はソ連へ移送(50万人)され、女性は悉く性的暴行を受けた。著者は、森繁久彌、宝田明、赤塚不二夫、五木寛之らの著作を引用しその悲惨さを語る。

ソ連への憎悪が今日も消えることなくあります。・・・至近距離でこの目で見たのです。向いのご主人が大きな拳銃で頭を打たれて死にました。隣りの乳飲み子が足を掴まれぐるぐる振り回された挙げ句、壁に投げつけられて、この世のいいことを一つも知らずに死んだのです。みんな非戦闘員、一般の市民です。」(森繁久彌「生きていりゃこそ」)

私の妻の父親はこの時ソ連に抑留(7年)され、残された妻子は全員殺され、私の妻に「ロスケだけは絶対に信用するな」と遺言(?)した(妻の母は後妻である)。

占領地における略奪や強姦は確かに歴史上どこの国でもあった。しかし、ソ連兵のそれは明確に一線を画す。その第一の要因は、日本が8月14日にポツダム宣言受諾を各国に通知し、日本軍や警察は武装解除したことによりソ連軍の将兵の蛮行を止める者が皆無だったことだ。(ただし、8月15日に米軍は戦闘行動を停止している。これが当然。)スターリンが「兵士たちは疲れ、長く困難な戦いで消耗している。「上品な知識人」の観点から見るのは誤り」と、他国の閣僚のソ連兵非難に対し言い放った通り、強姦や略奪に対し厳しい処罰を下すことはなかったことが蛮行を助長した。なぜスターリンは蛮行を擁護したのか。著者はソ連特有の社会構造の反映と分析する。

1.表向きは隠されていた男尊女卑の社会構造がある。

2.日本人から貴金属や腕時計・万年筆・服まで強奪したのは、ソ連における嗜好品や日用品の恒常的不足が背景にある。

3.1930年代の「大粛清」や、「矯正」の名の下の強制労動等、自国の市民の人権すら尊重していない国家が占領地の住民や捕虜を丁重に扱うわけがない。

このソ連特有の社会構造はロシアにそのまま引き継がれていると見るのが妥当だろう。

戦後、憲法9条の下「非武装中立」という幼稚園児の戯言以下の言論が左派論壇でもてはやされた。その論理的帰結は白旗を持って侵略者を迎えるしかない。そこで、やはり最近読んだロシア軍事の専門家小泉悠著「オホーツク核要塞」(朝日新聞出版)によると、結論として「日露間における軍事紛争の可能性はそう高いものではない」とあるが、「抑止力の本丸は中国と北朝鮮」とあるから、安心できたものではない。「ソ連特有の社会構造」はこの2国にも見られるからだ。項目によってはソ連以上に酷い。

 

「日ソ戦争」は上記の満洲、関東軍についてばかり書かれているわけではない。これは第2章「満洲の蹂躙、関東軍の壊滅」で、第1章は「開戦までの国家戦略」、第3章「南樺太と千島列島への侵攻」である。第1章では、日ソ中立条約を信じ最後までソ連に講和の仲介を希望していたうぶな日本に対し、ソ連のしたたかなリアリズムが対比される。第3章では、ことに8月18日千島列島・占守島侵攻に対し樋口第5方面軍司令官が「自衛戦闘を敢行すべし」としてソ連に大打撃を与えたことが北海道を救ったことは特筆すべきだが、以前にも書いたので繰り返さない。

このような本格的な「日ソ戦争」史が刊行されるのに80年近くを要したのは戦後の歴史学会、メディアの左傾化と無関係ではないだろう。第一級の歴史書と言える。