新潮文庫の最新刊の一つ「こころの散歩」を読む。五木寛之のエッセイ集を買うのは最初の「風に吹かれて」以来だから半世紀以上経つ。と言ってその間彼のエッセイを全く読んでいなかったわけではない。50年近く続く日刊ゲンダイの「流されゆく日々」(私のブログのタイトルはこれをもじった)はじめ新聞・雑誌に幾つも掲載してきたものを時折読んでいる。本人の弁によると「雑文(「エッセイ」などとキザな言い方はできないーこれも本人の弁)大好きで書き散らしてきた」そうだ。このエッセイ集は週刊新潮に連載されたもの。
早稲田入学当初、穴八幡(神社)の床下で暮らした話、アルバイトと売血で生きて来た話、それでも授業料が払えなくなり大学事務局に相談に行くと「抹籍」しかないと言われた話など既に別のエッセイで読んだ話も繰り返されている。「中途退学」は一つの公的な資格なので授業料未納者には認められないのだという。ところが、五木が有名になると大学の方から連絡があって、未納分を払えば晴れて「中途退学」にしてやると言われ、無論、五木に今さら何の価値も無いが、それに応じたことまでは知っていた。この「こころの散歩」でその人物がなんと早稲田大学の総長だったことを知った。(大学とは直接関係のない)あるパーティー席上、ある人物から「総長」の名刺をかざして挨拶されたのだそうだ。その筋の人にしては人品卑しからざるなと訝しんで名刺を確かめると、「総長」でも「早稲田大学総長」で寄付金を募られたという。「抹籍」のため校友会に入れなかったのだが、授業料未納分を納めて「晴れて」校友会員「早稲田大学中退」となったのである。五木の経歴で「早稲田大学中退」とはそれ以前から書かれていたが、「抹籍」と「中退」の差を知る五木本人は「学歴詐称」に悩んでいたのである。本人は常に「抹籍」と言っていたのだが、その区別を知らない(フツー知らないだろう)出版社の方で勝手に「中退」としてしまうのである。
翻ってカイロ大学、卒業生に大国日本の東京都知事がいることは名誉になっても損になることは何もないのだろう。(東京都とエジプトの予算規模はどちらが大きいの?)