オノマトペ(擬声語、擬音語、擬態語;例:ぴちぴち、サラサラ)にとらわれていた、認知科学者今井むつみと言語学者秋田喜美(きみ;意外なことに♂)による「言語の本質」(中公新書)には驚いた。通常の新書とは異なり、副題の「ことばはどう生まれ、進化したか」という壮大なテーマを論ずるものだからだ。それも、既存の学説の紹介ではなく、新しい理論の提唱である。

欧米語に比べ日本語は極めてオノマトペが多い。よって、ヨコのものをタテにするだけの学者からはオノマトペは言語学的に重視されないで来た。オノマトペは、(近代言語学の父とされるソシュールが指摘した)言語を言語たらしめる「恣意性の原則」(言語の形式と意味に必然性がない)から外れるからである。(つまり、単なる音真似であって「言語」なんて高尚なものではないということである。)例えば、犬の鳴き声、日本語ではワンワン、英語ではバウワウと、当然のことながら、世界中よく似ている。

しかし、著者たちは、幼児にもわかるオノマトペの音と意味のつながりから、言語の進化の仮説を提唱している。それは「アブダクション推論」という人間特有の学ぶ力だ。

推論の方法に演繹と帰納があるが第3の方法として仮説形成推論(アブダクション)を挙げる。

①この袋の豆は白い(規則)

②これらの豆は白い(結果)

③ゆえに、これらの豆はこの袋から取り出した豆である(結果の由来を導出)

観察される部分を全体に一般化するのが帰納推論であるのに対し、アブダクション推論は観察データを説明するための、仮説を形成する推論である。例えば、物体は支えがないと落ちるという結論は帰納的に導出できるが、「重力」という概念は生まれてこない。アブダクション推論は、それに対し説明を与えるものである。その説明は無論誤っている場合もある。この試行錯誤により幼児はオノマトペから離れ、抽象的で巨大な記号体系である言語を接地(習得)していく。よって、人類だけが言語を持ったというのが著者の結論である。アブダクション推論は人間の幼児なら等しくできるが、ヒト以外の動物は、人間が実験用に飼育している「天才」チンパンジーを除けば、できないのである。

著者は既往の学説の渉猟にとどまらず、自ら実験し、それこそアブダクション推論により、新理論を構築するという画期的な著だ。共著と言っても、対談であったり、章を分担して別々に書くのが通常だ。この著は、「思考のキャッチボール」をしながら、全ての章を一緒に執筆した、ということで、この著全体で論理の一貫性がある。まさに(2023年刊行を対象とする)「新書大賞2024」にふさわしい。私にとって刺激に満ちた読書だった。