「文藝春秋」3月号は芥川賞発表号でもある。今季の受賞作は九段理江「東京都同情塔」。言葉・カタカナ語のいびつさ、いかがわしさを描く。犯罪者をホモ・ミぜラビリス(同情されるべき人々)と規定するから、刑務所は公募の上、「シンパシータワートーキョー」となり、刑務官はサポーターとなる。東京のど真ん中にタワーマンションばりに快適な刑務所「シンパシータワートーキョー」が新国立競技場(ただし、現実には没となったザハ・ハディド設計のもの)を見下ろす新宿御苑に建設される。設計者は牧名沙羅、彼女の愛人は「BTSばりの」美青年拓人(沙羅は自分の母親と同い年)。拓人はイタリア高級ブランド店の販売員からシンパシータワートーキョーのサポーター(刑務官)となる。「シンパシータワートーキョー」を、拓人が「東京都同情塔」と言い直すと、牧名はいたく感動する。「東京+都:同情+塔」語の前後で韻を踏んでいるのだ。「東京同情塔」ではそうはならない。

前回のブログで、この3月号は、意図せずに「性」に関する特集をしているようだ、と書いた。期せずして、この小説でもナンパの作法を説いている。牧名が拓人の美しさに魅かれ彼の店で買い物中ナンパするのだが、「美しさを搾取することと、性的に搾取することは次元が違う話。・・・君が私から性的な被害を受けたと少しでも感じたらその瞬間に、私を殺してほしい・・・性加害者は生きているべきじゃないから」と牧名に言わせている。三浦瑠璃との対談「松本人志は裸の王様だったのか」で、元AV女優・日経記者にして作家の鈴木涼美は「性行為自体、後から意味が変わるもの・・その時喜んでいたとしても・・・事後が大事」と言っている。共に女性の言葉です。さらに、松本さん、牧名は高校生の時、恋人を家に誘ってレイプされた、と認識しているんですぞ。(ただし、さすがに、話を聞いた人々は全てレイプとは認めなかったのですが。)

この小説、生成AIを使ったとしても話題になっているようだ。ただし、生成AIが出てくる場面のみの使用のようですが。この作品に編集部が触発されたのか、3月号の特集は生成AI。「小説家vs.AI」で小川哲は「小説家にとって重要なのは、Aという展開を選ぶ能力やBという展開を選ぶ能力ではなく、自分の主観的な選択を合理化し、結果としてその展開を選んだことを正解にしてしまう能力である。それこそが作家性を形成しているのではないか」と述べている。その通りと思う。囲碁や将棋とは小説は違うのだ。落合陽一、藤井輝夫、金出武雄の鼎談「AIは落ちこぼれを救う」では、1例として、AIで個別化教育ができる利点を説いている。例えば、音声認識を備えたAIを導入すれば、生徒一人一人が正確に発音できているかは100%に近い精度で判断できる。要は、当たり前のことだが、人がいかに上手く使うかなのだろう。AIの未来は必ずしも悲観的なものではない。

この作品、小説の可能性を広げたという功績は認める。しかし、牧名(machina)とはまさに機械であり、私はこの人物に人間的な息吹が感じられず、よって感動とは結びつかない。