ホロコーストー600万人を超えるユダヤ人虐殺ーという人類史上最悪な悲劇を起こしたヒトラー率いるナチスは、優生学という疑似科学の信奉者であったことは知っている。この優生学的価値観により、「劣等民族であるユダヤ人は抹殺」されたのだから。ところが、千葉聡ダーウィンの呪い」(講談社現代新書)により、この優生学は20世紀前半の欧米最先端の進化学者、遺伝学者、統計学者によって生まれたのだと知った。ヒトラーはむしろ英国、米国発のこの学問と思想に深く共鳴し手本としたのである。その第一は、日本で「排日移民法」と呼ばれる移民法である。これは日本からの移民だけを排除しようとしたものではなく、「遺伝的に劣った人種・民族」であるアジア系と南欧・東欧からの移民を制限したものだ。さらに、強制不妊手術、社会的不適格者の収容等の米国の政策である。優生学の影響がいかに米国社会に浸透していたかは、熱烈な信奉者として、自動車王ヘンリー・フォード、大統領セオドア・ルーズベルトを挙げるだけで十分だろう。

ナチスという凶人(あるいは狂人)集団が優生学というエセ科学に取り憑かれたせい、とレッテルを貼って切り捨てられればどんなにか心が休まることだろうか。現実、ドイツはじめ世界中でそういう風潮下にある。

しかし、著者は警告する。そういう単純化は問題の本質を隠し、今の私たちは無関係という意識を生み将来に禍根を残すと。

ダーウィンの「進化論」は、(あらゆる生物は神がつくり賜うたものという)聖書の教えに真っ向から否定することで画期的であり「科学的」とされ、「ダーウィンがそう言っている」とは「自然の事実から導かれた人間社会をも支配する規範だから、不満を言ったり逆らったりしても無駄だ」を意味することになった。これが「ダーウィンの呪い」である。ところが、ダーウィンのオリジナルな進化論は、「人種」の存在も、その優劣も否定する。生物は常に変化し、分岐し、そして進歩を否定するからである。本来、生物学における「進化」(ラテン語evolutio、英語evolution)とは、進歩(progress)と異なり価値判断の伴わない語なのである。

皮肉なことに本来人種差別を否定し、人々の優劣を否定する理論がその逆の役目を果たし、優生学という「科学」を生み出したのである。

 

優生学運動は、さらに英米→ナチスとは別系統の運動を生み出した。それが近代オリンピックである。第1回アテネ、第2回パリ。第3回セントルイスでは万博と一体的に開催された。万博では、世界の先住民の劣等さを示す目的で「裏オリンピック」も行われた。なぜか?クーベルタンの念頭にあったのは、古代オリンピックと同様エリート民族だけが有資格であり、蛮族は全くの対象外であったのだ。エリート民族とは無論白人である。確かにクーベルタンは博愛主義を標榜した。ただし、この理念が適用されるのは人間(=白人)のみなのだ。(何度も引き合いに出して恐縮ですが、ハリウッド映画「猿の惑星」のフランス人原作者は、猿とは日本人の揶揄としています。)まあ、オリンピック再興当初の意図とは無関係に、手法が健康的なためか、今ではほぼ忘れ去られた。

この事実は、右派系雑誌を読んで知っていた。その記事では、同じ頃、白人の優越性を示すためにもう一つ創設されたものがノーベル賞であるという。その1901年第1回医学賞にジフテリア血清療法を確立し、本来は受賞すべきであった北里柴三郎は受賞させず、ドイツでの共同研究者であり、論文の共同執筆者のべーリングが受賞となった。白人を顕彰するという制定の趣旨からいって無理だったのだろう。話をオリンピックに戻せば、日本が参加したのは1912年ストックホルム大会から。北里同様、この凄まじい人種差別の中、差別を克服しようとした執念と努力に頭が下がる。称賛に価する、と言うべきだろう。

 

この「ダーウィンの呪い」素晴らしい。本の腰巻が語る如く「恐るべき知識・考察…見境なく人にお薦めし」たくなる本である。