職場で慶応義塾大学出身者だけはすぐわかる。「今日『三田会』があるんで」とその日は他人より早く仕事を切り上げて「三田会」に赴くからだ。

ジムから帰って郵便受けを覗くと、「文藝春秋」11月号が届いていた。(3連休に入るせいか、やたらに早い。)そのメイン記事が「慶應義塾の人脈と金脈」で「①いたるところに三田会あり」「②鉄の結束ゆえの驚異の集金力」「③塾の核心・幼稚舎は謎だらけ」などの記事から成る。

まさに「いたるところに三田会」はあって、冒頭に記した通りの場面は私もサラリーマン時代に幾度となく経験したことだ。三田とは慶應義塾大学のキャンパスのある地を指す。職場に限らず、年度別、地域別、諸会(サークル、ゼミなど)の三田会があるという。この鉄の結束ゆえ驚異の集金力で、学校法人として日本最大の寄付金収入を誇る。

それは創立者福澤諭吉の「社中協力」の思想から生まれたという。社中とは同門を指すが、福澤は慶應義塾で学んだ全ての者は親睦を深め人間関係のネットワークを広げるべしとの趣旨で使ったという。つるむことが福澤の教えの実践だったのだ!

他の大学はどうかというと、慶應のようにつるむことはまずない。私自身のことを言えば、サラリーマン時代、職場に早稲田大学の職員が訪ね来て稲門会をつくってくれとの依頼を受け出身者の名簿を受け取った。創立100周年の寄付金を獲得すべく彼は私を尋ねたのである。乗り気ではなかったが、名簿記載の全員にメイルを送り設立の可否を問うたが、ほぼ全員が必要無し、との回答だった。(稲門会が私の退職後設立されたか、それは知らない。)

以前にも書いたが、私とほぼ同じ時期に早稲田のキャンパスにいたはずの村上春樹がノーベル文学賞受賞できない(今年も)のは、日本の文壇でつるまないからだろう。過去の日本人受賞者の経緯を見ると、日本の中で推薦されて受賞している。村上は、日本の文壇で孤立しているから、推薦されている可能性は低い。つるまないことを誇りに思う(「独立不羈」の実践とでも言っておこうか)早稲田人の悲劇か。候補に擬せられて20年くらいだろうか。でもこれは、海外の賭け屋(ブックメーカー)が選考委員会と関係なく騒いでいるだけで、実態は候補にすらなっていないのではないか。

 

村上にとって学部の先輩にあたる五木寛之が「昭和歌謡で万葉集を編もう」と書いている。私は賛成だ。歌手のボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しているように、詩歌は本来歌うものだから。

 

トップ記事は「森喜朗へ献上された疑惑の紙袋」。今も政界に隠然たる力を持つ森喜朗元首相に下村博文が土下座して「疑惑の紙袋」を差し出したという内容だ。森が名付け親の清和政策研究会(安倍派)の「会長にさせてくれ」との直訴を蹴ったという。こういう話が暴露されるのも森(元首相)の意向だろうから、これで下村の、総理はおろか、派閥会長の目も完全に消えた。森も下村も早稲田出身、ここでもつるまない。