「静かなドン」。ショーロフの処女作にしてノーベル文学賞受賞の決め手となった小説である。何十年も前、BookOffで求め(100円×2)たきりになっていたものを漸く読了した。800ページを超える大冊が2巻なのだ。
古稀を過ぎて読み始め、読了して、本人も意識したに違いない、同じロシアの文豪トルストイの「戦争と平和」を思い起こした。同じく大部の小説で、戦争の中に生きる人間の姿を描く。ただし、「戦争と平和」はナポレオン戦争で、「静かなドン」は第1次世界大戦からソビエト社会主義革命における内戦で、描かれる人間は、貴族(「戦争と平和」)とコサック農民(「静かなドン」)の差がある。戦争の描き方には大きな差がある。ナポレオン戦争の大筋が小説中に描かれるが、「静かなドン」は登場人物の周辺で起こった戦闘が描かれるのみだ。しかし、第1次世界大戦はともかく、この社会主義革命が一直線に進んだのではないことがわかる。主人公のグリゴーリー・パンテレ-ヴィチは、初め赤衛軍、後、白衛軍に転ずる。コサック農民であるグリゴーリーは無論1兵卒として入営したのだが、数々の軍功をあげて士官に任ぜられ、反革命の白衛軍では有力な指揮官となる。しかし、対等な人間としては扱わない旧権力者階級には幻滅して白衛軍を去るが、権力を完全に握った革命政府には追われる身となる。
この本を読み出して、その間、数十冊別の本を読了しているくらい、読了まで時間を要したのだが、面白くなかったわけではない。同じく大部で戦争を扱った「風と共に去りぬ」との比較をしてみればその理由が明白となる。中学生の時、僅か数日で読了した、南北戦争を背景としたこの小説は、若く美しい主人公スカーレットの恋愛物語で一気に読める。ところが、「静かなドン」は主人公グリゴーリー以外の登場人物を中心とした物語が諸所に散りばめられ、それが、「アラビアンナイト」のように独立した物語ではなく、関係しあいながら進行する。これにより、大河「静かなドン」をめぐる人々の第1次世界大戦から革命までの姿を重層的に描くことに成功している一方、古稀を過ぎ集中力を欠く身には散漫に感じてしまう。もし、主人公グリゴーリーとアクシー二ヤの(共に配偶者のある)恋愛に絞ったら「風と共に去りぬ」的な読み物としての面白さは一気に増すが、それはやはり、「静かなドン」ではなくなる。
ロシアのコサックとして生きた男と女の姿を描き切っている。グリゴーリーの生誕地ヴョ―シェンスカヤは著者の生誕地でもある。半世紀以上も前に読んだものとの比較とは言え、「戦争と平和」以上の小説と今の私には思える。