中曽根の最大の功績は行政改革、即ち国鉄を含む3公社を民営化したこととされるが、それは左翼勢力を総崩れさせすることを初めから狙っていた、との指摘には驚いた。池上彰と佐藤優の「漂流 日本左翼史」(講談社現代新書)である。「日本左翼史」の最終巻で1972年から2022年即ち現在までを扱っている。
国鉄民営化は、18万以上の組合員を抱える日本最大の労働組合であった国労の力を削ぎ、総評は弱体化し社会党も弱体化した。そして日本の左翼は崩壊過程を辿っていった。これは、その意味でも中曽根に長期的な視点があったということになる。(陰謀史観めくが、池上によれば、後年中曽根自身が語っているという。)
この1987年の国鉄解体と1991年のソ連の崩壊、それからこの本で指摘するのは、チリのアジェンデ政権の崩壊も、日本の左翼(ことに社会党)の崩壊に影響を与えたということ。このアジェンデ政権は(内戦ではなく)民主的な選挙で社会主義政権が誕生したのだが、アメリカがCIAなどを使ってクーデターを起こさせ転覆させた(1973年)のだ。社会党に関しては、平和革命実現の希望を萎ませ、1994年の自民党との連立で村山富市内閣成立時に「日米安保堅持」を謳ってしまい、支持者が一斉に離れ、共産党は「敵の出方論」を強め暴力革命を否定できなくなった。
私自身のことを語れば、大学に入る頃は、共産主義社会をユートピアのように語る戦後教育の賜物(?)で、左翼に一定のシンパシーを覚えていた(これは池上、佐藤共にそうだろう。ことに佐藤は社青同の活動家だった)が、大学入学してみれば、連日キャンパス内で、革マルと民青あるいは中核派との(角棒を持っての)闘争を見せつけられ、この本でも取り上げている1972年の「早稲田大学構内リンチ殺人事件(川口大三郎事件)」で決定的に左翼に不信感を抱くようになった。もろ私が大学に行っていたその時、その大学で起こったのである。そんな時以降、カッコイイ、とされていた「朝日ジャーナル」でなく「プチブル雑誌」である「文藝春秋」が新鮮だった(以後半世紀の愛読者である)。当時「良心的」とされていた朝日新聞、岩波書店をはじめとするメディア(北朝鮮を「地上の楽園」と称し、中国の文化大革命を絶賛する提灯記事を書いていた)と明らかに異なっていた。はっきり言えば、会社自体右寄りだったことは、現在、右派雑誌「月刊Hanada」を作っている花田紀凱が文藝春秋社時代、ホロコースト否定論を掲載し廃刊に追い込まれた「マルコポーロ」の編集長をしていたことからも明らかだろう。(21年7月から「文藝春秋」の編集長である新谷学は愛子様天皇論の記事を何度も何度も掲載しているからそうではないだろうが。)
読後、塩野七生のエッセイ「非統治国家回避への道」(初出1980年)を思い出した。日本では民主主義政体は存在し得ない。何とならば、民主主義政体は二大政党制の国にしか存在し得ないし、共産党を国内に持つことによって、他の左翼政党が育たないので政権交代が不可能になるからだ。現在、日本社会党は壊滅したが、日本共産党は健在である。塩野は、日本を含め共産党の存在する国は、民主主義の健全な発展など論議することからして無駄、と断ずる。ないところに、健全も不健全もあったものではないからである。今、旧統一教会の自民党への汚染が連日メディアを賑わせている。しかし、自民党の堕落は、彼らの責任ではなく、我々有権者と野党の責任だと(40年以上前から)塩野は言っていたのだ。人間の本性を考えれば、政治のメカニズムは善意によっては動かないからだ。本人は「政治学のシロウト」と言うが、人間の本性への洞察はプロである。