昨日は、いつもなら8日には着くので12時から1時間毎に郵便受けに確認に行ったのだが結局失望に終わった。

 翌日ようやく届いたが、「創刊90周年特別号」だそうだ。それがためか、あるいは総選挙間近で総力特集「日本人『最後の決断』」で原稿締め切りを延ばしたのか。安倍自民党総裁と野田現首相の「政権構想」が発表されている。共に既に報道されている以上のものは特にないが、安倍が憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を取上げている。私もこの文を何度も槍玉に挙げている。そんな諸国民が歴史上存在したことがあっただろうか、あったのは諸外国の国益だけではなかったのか。安倍は「国民の安全を守るという国家として最も重要な使命を何と『平和を愛する諸(外国)国民』に丸投げしてしまっている」とする。当然の指摘である。

 巻頭随筆の後のトップ記事は「文藝春秋と私」と題する、この雑誌と縁が深い、阿川弘之、山崎豊子、塩野七生の「特別寄稿」だ。この中で塩野は「日本の知性―小林秀雄と田中美知太郎」を書いている。ここで面白い評価を小林に対してしている。曰く「あの下手な岩波版(『ガリア戦記』ユリウス・カエサル)の翻訳を読んだだけでよくもここまで読み取ったと感心した。まさに『眼光紙背に徹す』」。当然、塩野は原語で読んでいての評価だろう。翻訳文が拙くて原語を見て簡単に理解できるということはよく経験することだ。特に岩波の翻訳は岩波用語と言っていい。その岩波での出版ながら、プラトン「ソクラテスの対話」の田中美知太郎翻訳は「豊潤かつ官能的」と評価する。その田中は文藝春秋の巻頭記事のトップを昭和47年から52年にわたって書いていた。

 超大型企画として「激動の90年、歴史を動かした90人」で、吉田茂以下美空ひばりまで90人を、縁の深かった人が「物語」っている。私が最も敬愛する司馬遼太郎はもちろん、あれっと思ったところでは、横田滋・早紀江夫妻も入っている。

 「大座談会 『対中外交』はなぜ失敗するのか」で、宮家邦彦の「昭和前期のように中国と単独で向き合うという過ちを繰り返さないことです。」との発言に対する、佐藤優の「その意味でTPPが使える。あの眼目は経済自由化のさらなる促進などではない。中国との間に浸透膜のような出入りを制限できる仕組みを作り上げること。日本がアメリカとこの目的で緊密な関係を構築すればインドが乗ってくる。インドが加わればミャンマーも乗ってくる」との発言は注目すべきだろう。(他に山内昌之、田久保忠衛などが加わっている。)