「インカのめざめ」と聞いてご存知の方はご存知だろう。ご存知の方はそれがなぜ助平と結び付くのかと訝るだろう。

 長野で、草を刈り入念にトラクター(いわゆる豆トラである。アメリカ映画にあるような大型トラクターではない)をかけジャガイモを植えた。朝8時から夜8時までの長時間労働である。日が長くなったとはいえ、夜8時が物が見える限度だろうから終了時刻は最も遅いと言えるだろうが、朝8時は百姓としては決して早くはない。飯前仕事(メシメしごとという)として5時ぐらいからの農作業が普通だろう。天気は快晴。汗はびっしょりかくが、時折汗を拭くためにまわりの山々を見ながらの作業は気持ちがいい。定年帰農は、日本農業を考えれば問題があるのか難しいところだが、少なくとも耕作放棄地を増やすより遥かにいい。定年帰農従事者当人にとってのメリットは大きい。普通にやって儲かるわけではないが、年金で最低限の収入は確保されている上、夫婦2人で働ける事も大きい。さらに、好きな物を好きな方法で作れることだ。世の中に「有機無農薬野菜」を謳ったものが珍しくないけれど私はその9分9厘を信用していない。農家出身として、病虫害の大変さを知っているからだ。連作障害もある。技術的な難しさがある上、膨大な労力を必要とする。「有機無農薬」を額面通り(その必要は無いと私は考えているが)実施するとなると、営業的にはほとんど不可能に近い。営業していない私は、低農薬(物によっては無農薬もある)野菜を作っている。かつ、好きな品種をだ。「インカのめざめ」とは21世紀に生まれたジャガイモの新品種。今年も伝統的な品種に交じってこれも植えた。収量は少なく、病虫害にも弱い。しかし、うまい。栗に似た味がする。

 なぜ「インカのめざめ」なのだろう。私も不思議だった。命名された理由をつらつら考えて思いあたった。ジャガイモの原産地はアンデス高地だった。いわゆる「地理上の発見」当時そこはインカ帝国だった。そこを征服したスペイン人がヨーロッパに持ち込み世界に伝播したのである。ただし、当初は「おみやげ」程度の扱いであり、欧米人の一般家庭の食卓に上がるのは18世紀と言われる。一方、梅毒はアメリカ原住民の風土病に過ぎないものが「地理上の発見」以後全世界に瞬く間に広がった(最有力説)。日本に最初にヨーロッパ人が来たのは1543年(これもヨーロッパ人にとっては発見)とされるが、時は戦国時代。有力な大名で何人も梅毒罹患者であったことが確認されている。(有名なところでは、加藤清正、「関ヶ原」を起こした石田三成の盟友大谷吉継など。)まだ航海が探検であった時代だ。その時代梅毒は全世界に蔓延していたのだ。ほとほと人間(無論、私を含めて)の助平さに驚嘆する。食欲と性欲は人間の最も根本的な欲求とされるが、同じアメリカを起源とし同じ時にスタートラインにたったジャガイモと梅毒、梅毒の方が200年以上も早く全世界を席捲したのである。