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 藤原正彦は、「国家の品格」および文藝春秋に連載されていたお茶の水女子大での読書ゼミ「実況中継」(のち「名著講義」として単行本化されたようだ)などで、思想的に私と極めて近いと思っていた。藤原正彦は数学者であるが、その著者が「はじめに」で述べているように「おっちょこちょい」にも日本の近現代史を書いたのが、この「日本人の誇り」である。日本の史学会はマルクス主義史観に毒されているものが主流であり、まともな史観は主に歴史学が本職でない人々に見られる。この対立は、わずか数十年前の史実さえ異なっている。(たとえば「南京大虐殺」、一方で中国の宣伝の通り30万人の虐殺があったとし、他方でそんな事実は存在しないという。)藤原は無論まともな史観の持ち主である。

 著者は、ペリー来航(1853年)から大東亜戦争を経て米軍による占領が公式に終わったサンフランシスコ講和条約の発効(1952年)までの百年を「百年戦争」と規定する。

 そして、「誇り」を回復するための第一は、アメリカのWGIPによって植え付けられた罪悪感を払拭することWGIPとはWar Guilt Information Programの略で、戦争についての罪の意識を日本人に植え付ける宣伝計画のことである。このアメリカによって入念に準備されたプログラムの存在自体、日本人の大多数は知らない。自由と民主主義の旗手を自任するアメリカが、戦争責任の一切を日本にかぶせるため、日本人の言論を封殺するという挙に出たのだが、私はこれを江藤淳の論文(「閉ざされた言語空間」)によって知った。

 第二は、アメリカによって作られた日本弱体化のための憲法を廃棄し、新たに、日本人の、日本人による日本人のための憲法を作ること

 第三は、自らの国を自らで守ることを決意して実行すること。他国に守ってもらうというのは属国の定義と異ならない。屈辱的状況にあっては誇りも何もない。

 全く同感である。著者の主張は私の年頭のブログ「日本人よ、スイスとなる覚悟はあるか」とかぶる。

 また、著者は、私が売国奴集団と規定する朝日、岩波、日教組を、私と違って、さりげなく批判している。

 日教組については、はっきりと、GHQ が種をまいたWGIP(罪意識扶植計画)を、「日教組が『国家自己崩壊システム』として育て、今もなお機能している」と述べている。

 岩波については、次のごとくである。ラスト・エンペラー溥儀の家庭教師を6年間勤めたイギリス人RF・ジョンストンが「紫禁城の黄昏」16章で、リットン報告書の「満州国は地元住民の自発的意思によるものではない」に異議を唱え、満州には満州の独立運動が広汎にあったと明言している。ところが、岩波文庫は16章丸ごと削除している。日本軍=絶対悪の立場をとる岩波書店は、満州人民の民意が少しでも具現化された証拠が出てきては都合が悪いのだろう。

 朝日については、次のごとくである。ソ連のスパイであるゾルゲが、日本軍は北方へ向かわず石油などの資源を求めて南方へ向かうとの「帝国国策遂行要領」を尾崎秀実から手に入れ、1941年10月4日モスクワに送った。ソ連はこの報で、日本がソ満国境から攻め入ることはないと知り、そこに配備していた冬季装備の充実していた精強部隊を直ちにモスクワ方面に移動させ、ドイツ軍の進撃を止めた。ドイツ軍にクレムリン宮殿まで10キロまで迫られていたソ連はきわどいところで降伏を免れたのである。近衛首相の側近であった尾崎秀実は、共産主義者でありゾルゲの協力者だった。にもかかわらず、(当然のことながらそれを隠して)「朝日新聞」で中国との早期講和に猛反対し、殲滅するまでの徹底抗戦を主張した。日中戦争の泥沼化はソ連にとって絶対必要なことだったのだ。朝日は、戦後のみならず、戦前もコミンテルン(ソ連共産党配下の国際組織)に操られていたことがわかる。

 「世界価値観調査」で、日本は、「自国を誇りに思う」の項目で世界最低に近く、「もし戦争になったら国のために戦うか」の問いには「はい」が断トツ最低15%(中国90%、韓国74%)という事実が、著者に危機感を抱かせ、この著を書かせたのだろう。新書という手軽なサイズによくまとめたと思う。幸いけっこう売れているようだ。私としては日本国民全部に読んでほしい好著である。