今年は参拝三昧のお正月で、3日には上野の摩利支天、寛永寺両大師に年始の挨拶をしてきた。
先生と出会ってから神社仏閣を巡っていたけれど、しっかりとした参拝スタイルではなく、通りがかり程度の史跡散策だった。
数年前に日蓮宗のアプリを見つけてからは旅の手引きとして活用し、数多くの地を訪れ、楽しい思い出を作ることができた。
一昨年あたりからは、先生が魅せられてしまった元三大師御札(おもに変身したお姿の角大師)を追い求め、各地のお寺を転々とすることになるのだけれど、比叡山、滋賀、京都まで足を延ばすようになったのだから全国制覇も夢ではないような気がしている。
角大師について詳しく知りたい方は先生のブログへ↓
遊行聖の寺社巡り三昧 Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai (ameblo.jp)
私はというと…
信仰心には欠けるものの、人々が神仏に手を合わせる姿に尊さを知り、祈りとは何かを探求しながら旅を続けている。
と、偉そうなことを書いたけれど、実際のところ、お参りは二人の遊戯の一つでもあり、感動や面白話に出会う機会を狙って旅しているのが実状です。
6日(土曜日)は群馬のお寺を4軒ほどお邪魔し、お正月しか頂けない護符をもらって大感動。
横浜にある先生の家に帰宅後、収穫(お札ゲット)を喜びを祝う会を催し、ビール、焼酎、日本酒と居酒屋のメニュー並びのように酒を替え酔いを楽しんだ。
7日(日曜日)は、厄除け大師の本拠地でもあり、先生のお気に入りの場所の一つでもある深大寺に行ってきた。
深大寺ホームページ【厄除元三大師 深大寺】東京都調布市 (jindaiji.or.jp)
今年62歳を迎える私達だけど、試練の年でもあった後厄も明け、無事、二人でお参りできることに感謝の気持ちを伝えられて心がほっこりしている時、騒動は勃発した。
「和子ぉ~、和子ぉ~」と叫ぶ声。
その声は人混み掻き分け、天まで届くほど大きく、地を響かせるほどの振動だった。
「和子ぉ~、和子ぉ~」
再び、雄叫びが上がると、人々は声の主に注目した。
小さなおじいさんが辺りを見回し和子を探していた。
そして群衆も和子を探し、おじいさんより早く和子を見つけた。
和子はおじいさんの妻であるだろう女性で、二人の年齢を合わせるとゆうに170歳は超えるだろう老夫婦であると想像できた。
ここで書く「和子」という名の漢字を確かめたわけではないけれど、おそらく昭和の年号の刻まれた年あたりに生まれた子供に「和」という字が多かっただろうし、漢字マスターの先生も黙って承認してくれた。
和子は少し離れた高台の段差の上でズボンの中に下着やシャツを詰め込みながら…
「まったく正月からやんなっちゃうわぁ~、あんな大声だして恥ずかしい」と通り過ぎる人々に言い訳していた。
「和子ぉ~、和子ぉ~」とまた雄叫びは上がる。
「はいはい、わかったわよぉ、ここにいるから大声出さないでくださいよ」
と和子がいうと、おじいさんは返事もなしに人々の群がるお守り売り場へと消えていった。
当初、私達の予想は、おじいさんは少々?ボケていて、家でも何かと大声で妻を呼び、小さな用までさせる昭和枯れすすき亭主だと思った。
耳が遠くなっていたからか、年齢のせいなのか、外に出ている意識も薄れ、常識や節度を持てず、辺りかまわず大声を出す頑固おやじを介護している和子を気の毒にさえ思ったりした。
そうなると…
真実を見ずにはいられない性分の私たちは、二人の後を追いかけた。
大混雑するお守り売り場に二人の姿はあった。
小さなお守りを2つ買うか買わないかで押し問答を繰り返し、売り子さんは困惑したまま、お守りだけが何度も行ったり来たりしていた。
「一つでいいわよ」と和子。
「いいから2つ買え」とおじいさん。
「いい、いい、一つにして…」と巫女さんスタイルの売り子さんに一つ戻すようにお願いする和子。
「うるさい、2つでいいと言っているだろう!」と切れ気味のおじいさん。
「じゃあ~いいわ。とりあえず2つ入れて」と
根負けしたように和子が売り子さんに言うと、売り子さんは素早くお守りを袋に入れ、さっさと手渡した。
私は苦難から解放され安堵する売り子さんの表情を見逃さなかったよ。
その後、おじいさんは財布を握りしめたままお金を払わなかったので、事の流れを想像すると、おじいさんは2つ買うつもりでお金を先に払った後、和子が登場し、一つでいいと言い出したとわかった。
売店を後にする二人の身なりからは貧しさがにじみ出ていた。
身なりで人を判断するのは大変失礼ではあるけれど、長年の客商売で得た癖でもあり、初詣客は身なりを整えて参拝に出向くイメージは昔も今も変わらない。
そんな中、寒空にジャンパーなしの薄着で、おじいさんのベージュ色のズボンは所々薄汚れていて大きなシミも目立っていた。
短めのズボンの裾から見え隠れする靴下のゴムは伸びており、歩くたびに古びた運動靴の中に潜っては出たりを繰り返していたしね。
貧しさは和子も同じだった。
衝撃の出会い時、ズボンの中を整えていたけれど、よく見るとズボンの裾は大きく三つに折られ、明らかに自分の衣服ではないことを示していた。
黒いズボンの元の持ち主はおじいさんだったに違いない。
和子はサイズの合わないズボンを履いていたから、歩くたびに幾重にも重ねた下着やブラウスが飛び出してしまっていたのだろうね。
おしゃれに見えていた黒いハットと合皮の紺色のリュックもかなり年季の入ったものだったし、昔、レインコート代わりに来ていただろう白と黒の格子柄の薄手のコートは古着屋さんでも売られていないほど着古されたものだった。
それでも白と黒で統一されたコーディネートはファッション性も高く、顔だちもよく見ると整っていて、昔はおきれいな女性だったのだと思う。
そして…
二人の暮らしが豊かでないことを知ると、お守りの一つか二つ問題も理解することができた。
僅かばかりの年金生活では、お守りと言えども貴重な無駄遣いとなるのかもしれない。
だから一つでいいと和子は売り子さんに言い、おじいさんが払ってしまった500円を何とか取り戻そうと必死に抵抗していたのだろうね。
でも、おじいさんは頑なに譲らなかった。
干支の厄除け守りを二つ、それぞれが持つ…。
それはお互いまた一年、無事で過ごせるよう願ったおじいさんの愛情なのではないかと感じた。
…だったら、そう口に出していえばいいものを、まったく昭和の男というのは不器用が洋服を着て歩いているようだね。
そして…
「和子ぉ~、和子ぉ~」の雄叫びもまた、迷子になったかもしれない妻の安否を案じての狼の遠吠えだったようにも思えた。
折り目の部分の皮がすり減ったおじいさんの長財布に、お札の姿は消えていた。
それでも文句を言いつつ、どの夫婦よりも肩を寄せ合い歩く二人の後ろ姿に、この夫婦に幸多かれと立ち上る線香の煙に託して天に祈りを捧げた。
男と女には言葉では言い尽くせない色がある。
どの色選ぶかはまだまだ素人で、知らず知らずのうちに二人色に染まっていく。
それは…
茜色の夕日が沈む瞬間が目前に迫っているとしても…
決して霞むことのない愛という名の光なのだと思う。
美月