おはようございます。

 

おばあちゃんの日記を読む、かわかみえりこです。

 

おばあちゃんというのは、私の父方の母で、こづえさんといいます。亡くなってからもう何十年もたつのですが、先日1940年~1944年の日記がでてきました。タイトルは育児日記です。この日記を、伯父(こづえさんの長男)に日記をいただきました。

日記は、1940年7月に、女の赤ちゃんが生まれたところから始まり、食糧・燃料・物資が足りない中、夫や自分の姉妹や近所の皆さんに支えられながら、7歳、3歳の息子とその赤ちゃんの子育てや様々な家事に淡々と奮闘するさまが、5年にわたってほぼ毎日かかれています。(マメすぎる..)

 

家電もなく、冬は寒く、食べ物の調達もままならない。朝早くから夜遅くまで働いているのに、それでも時間がない。

 

そんな中でも、毎日ごはんをたべ、子供を育て、夫と会話し、ご近所と交流して、家事をこなす。すごく大変そうなのに、なんとなく幸せなにおいがすることに心打たれました。

なんでだろう?

 

多分それは孤独じゃないからではないか?

 

食糧がたりないはずなのに、りんごでも饅頭でも、何か戴きものがあったら、すぐにご近所にお分けしちゃう。一か月間で何度、お互いに交換しているのかしらというくらい、おすそ分け(お福分け)しちゃうし、ご近所からもいただいている

 

 

隣の奥さんは、こづえさんが困っていたら、用事をする間、赤ちゃんをみてくれたり、お使いをして下さる。逆に、こづえさんが近所の奥さんのために病院に走ることもある。

 

 

夫は時々みかねて、昼ご飯を作ろう!と炊き込みご飯をつくってくれたり、仕事を休んで家事を手伝ってくれることがある。(当時は珍しかったのじゃないかと推測してます)

 

 

 

 

当時、少なくとも、こづえさんの周りには、そういう関係性があった。なんだか、いいなあ...

 

 

 

もちろん、今とちがって電気冷蔵庫がなく、保育所もなく、いろいろな条件がちがうから全く同じようにまねをするわけにはいかないとはおもうのですが、

 

 

 

とにかく、1940年、暮らしが大変で、つらそうかとおもいいきや、

 

けっこう幸せそうに読み取れるのです!

 

昭和の日本人の底力を感じる、第二次世界大戦中のそんな日記を、アメブロにて、1940年~1944年のカレンダーの記事として、文字起こししたいとおもいます。

 

また自分が思ったことも、時々記したいと思います。

 

 

かわかみえりこ