前日は残りの玄米を、ババ車に載せて、近くのワンコイン精米機のある場所まで持って行った。
米櫃機の精米したコメは、一食分しかなかった。
田尻のetekoハウスに来てから、一日目は、焼きそば。
二日目に、最後のお米を食した。
最後のご飯用には、カレーを作った。
ジャガイモは、ボロ屋敷のeteko農園で収穫した最後のジャガイモを持ってきていた。
ボロ屋敷のIHクッキングヒータは、完璧に壊れてしまった。
漏電を起こして、ブレイカーが落ちてしまっていた。
コンセントを抜いて復旧した。
あの時には、焦ったなあ。
冷蔵庫の電気も入らない。
諏訪のマルトで買い込んだ食材が腐っちゃうよ。
ボロ屋敷の電化製品は、どんどん壊れていくなあ。
エコキュートもリモコンにエラーコードがでて、直ぐに湯切れになる。
お風呂が熱くならない。
夏場はいいけど、寒くなったらどうしよう。
なるようになるだけか。
まったく、話がまとまらない。
玄米は高萩の叔父さんから、ナカちゃんの墓参りに行った時、叔父さんの家に寄った時に、収穫した玄米を、お歳暮や中元のお返しとして、帰り際に渡される。
一袋、30キロを渡される。
叔父さんは、ナカちゃんの弟だ。
三姉妹のバッチの弟だ。
ナカちゃんの実家は、中染村だった。
今は、常陸太田市に編入されている。
叔父さんが小学に入る年に、家に落雷して実家は燃えてしまったと言う。
三姉妹は嫁に出たり、学業で家を離れていた。
母親は、叔父が物心つく前に亡くなっていた。
実家を離れていた三姉妹は、亡くなった母親の面影を記憶の中に残している。
しかし、私には、母親の面影の記憶は何一つ残っていない。
実家は、寒村の農家だった。
ただ、祖父の金次郎ができた人間だった。
寒村の農家の中で、煙草や朝、大豆などを゛遺産して小金を稼いで、村では裕福な農家になっていた。
80年に一度の金砂神社の大祭には、山の神社から、太平洋に面する久慈浜までの行列の関係者が、15人ぐらい実家に逗留して、酒を飲み明かしたと言う。
その現場に、ナカちゃんはいたと言う。
そして、それから、80年経った、金砂神社の大祭を見られるとは思わなかったと言っていた。
母親が三姉妹のバッチだと言うのを、令和元年の葬儀の時に認識した。
私の家は、父方の親戚と母方の親戚が多すぎだ。

