いろいろな物を食してるなあ。
貧乏なetekoは自炊なんだけど、今は炊事の道具があるからいいよなあ。
学生時代は、何もなかったなあ。
テレビも冷蔵庫もなかった。
一年生の時は、大宮の戸建ての二階の一室だった。
大宮校舎の近くに建てた戸建ての一室だった。
若い夫婦が家主で、小学生の低学年の女の子が一人いたなあ。
2階は何部屋あったんだろう。
部屋の広さは6畳はあったのだろうか。
床は畳だっか、フローリングだったか思い出せない。
この部屋にもちこんだのは、電気こたつと布団だけだった。
そして、ギターとラジカセだけだったかなあ。
その部屋に簡易の炊事場がついていた。
水道の蛇口がついてる小さな背面台。
そこに、プロパンガスの小さなコンロが一つ置いてある。
無理やり貸し部屋に仕立てたと言う作りの部屋だった。
家は建ててから、10年はたっていないようにみえた。
最初から、家を新築して、ローンの返済に、貸し部屋を計画してたに違いない。
そんな部屋に、一年間、暮らしていた。
この家は、学校の運動場の境に張られたフェンスが、一部、切れた場所がある。
フェンスの外は畑になっている。
フェンスの切れたところから、農道が伸びている。
そこを5分くらい歩いていくと、5、6区画の分譲地が広がっていた。
そこに、5、6軒の新築の戸建てが建っていた。
その中の一軒の二階の一室を借りていた。
家賃は払っていたけど、お金はどうしたんだろう。
現金書留かなあ。
お金に困ってたということはなかったなあ、
酒もタバコも飲まなかったしなあ。
学費は、親が払っていたんだろうなあ。
考えてみたら、今までは、お金に困ったと言うことはなかったなあ。
今までは、貯金もあったのになあ。
貯金は、ゼロになっちゃった。
今は、少ない年金暮らしだ。
脊管狭窄症で歩けなくなってきてる。
マルトに食料の買い出しを行くのも一苦労だ。
帰らぬ昔を思い出しても何になるだなあ。
でも、書き残しておかないと、消え去るだけ。



























