あさ9時 ! みたい。
ボロ屋敷のミステリー。
桜川のボロ屋敷は、ETEKOが、幼稚園に入る前に建てた、バカでかい2階建ての木造建築の家だ。
このボロ屋敷を発てたのは、昭和34年頃だと思う。
この家に移ってきた年から近くのキリスト幼稚園に通ったように記憶してる。
今から、60年も以上の話しだなあ。
親父は、30代だったのか。
昭和の一桁生まれだから、30になったばかりかなあ。
ナカちゃんも同年代だ。
そんな親父が、昭和30年代に、何でこんな大きな家を建てられたのか、今でも不思議だ。
借金して建てたんだろうか。
ETEKOの両親は、月賦とかやらなかった。
終戦後に米屋をやってた。
現金一括払いで、価格を下げられる思い込んでた。
一括払いだと、利息とかは付かないからね。
そかな親父が、終戦後の10るんくらいで、結婚して、安普請ながらバカでかい家を建てた。
親父は、この家を建てるにあたって、祖父と衝突したと言う。
その為、家を建てる資金は、一文も出して貰えなかったと言う。
親父は、終戦までは、少年兵として、陸軍で東京にいたらしい。
終戦で、祖父母が住んでる日立市に復員して来た。
その時に、祖父は、日立市の弁天町で、米屋を始めてたらしい。
復員した親父は、祖父の米屋を手伝い始めた。
その時には、日立市で生まれた年のはなれた幼い姉弟が、5人もいた。
親父が、祖父の米屋を切り盛りしてた。
そして、日立鉱山の浄化街の新町に店を出した。
この時は、ナカちゃんと結婚していた。
結婚を機に、新町に店を出したのかもしれない。
そして、新町で、etekoが生まれた。
etekoの両親は、戦後の10年間の話しをなにもしてない。
結婚式の写真も何も残ってない。
終戦後の両親の暮らしを聞いたことはない。
etekoが、物心ついた時からの記憶しかない。
終戦後の10年間の暮らしは、聞いたことがない。
失われた戦後の10年。







