キシダは新年を迎えられるのかなあ。
自民党は倒壊。
公明も維新も、
情弱は知らない。
【そして、誰もいなくなる。創作ノート その1】
etkoのボロ屋敷の裏側には、市営の平屋のかまぼこ式の集合住宅が4棟立ち並んでる。
etekoのボロ屋敷が建ったのは、昭和35年だった。
ちょと、づれてるかもしれない。
引っ越してから、直ぐに、山の方にある幼稚園に通学したのを記憶してる。
etekoのボロ屋敷が建築し始めた頃は、周りは見渡す限りの田園地帯だった。
etekoのボロ屋敷の玄関の前の道路は、田園地帯には割と広い砂利道が通っていた。
これは、6号国道までつながっていた。
まりが、田んぼや畑ばかりなのに、広い砂利道が通されたのは、昭和30年代になってからみたいだ。
それは、市営の団地を造成する為だった。
etekoのボロ屋敷が建ってから、周りに市営のアパート団地が20棟くらい造成された。
海の方が平屋のアパートで、山側の方は2階だて鉄筋コンクリート造りの酒豪住宅が造成された。
この団地が出来た時は、入居者が直ぐに埋まった。
1棟の建屋は、4室に区切られていた。
そこには、小さな子供達がいる夫婦が入居した。
今はアパート暮らしだが、お金をためて、その内に家を建てて、移ると言う若夫婦が多かった。
アパートの部屋の間取りは、分かっている。
小学生の頃までは、平屋のアパートにある児童公園で、毎日のように、三角ベースや缶蹴りり何かをやって遊んでいた。
いつも、アパートの住人が10人くらいは集まっていた。
仲良くなったアパートの住人の子供の家に上がり込むこともあった。
平屋も二階建てのアパートの間取りも小学生のころまでには知り尽くしていた。
平屋の方は、8畳くらいの部屋が二つあり、そこにトイレと、キッチンがある。
平屋も二階建てのアパートも住居スペースの前に8畳くらいの広さのお庭のスペースがある。
平屋のアパートには、この二羽のスペースに風呂場のスペースの部屋が張り出している。
二階建ての方は、一階の部屋のスペースが10畳くらいの広さだろうか。
そこに、玄関の両脇にトイレと浴室のスペースが設けられていた。
一階が狭いダイニングと言ったところだ。
そこには、二回の部屋に上がる階段が付いている。
二階の部屋は、大抵、子供部屋になってる。
二階の部屋は、それほど広くなかったなあ。
そんな事を思い出した。
こんな事を描きだしたのは、etekoのボロ屋敷の裏のアパートの一棟が、完全に住人が消えたからだ。
それも、今週の月曜日になって気が付いた。
食料を諏訪のマルトに買い出しに行った時に行った時に気づいた。
4部屋の内の、3室が空き家になってた。
端の一部屋に、老夫婦が住んでいたんだけど、部屋を突然に引き払ったみたい。
一棟が、完全な空きアパートになってしまった。







