日本保守党が初の街頭演説 河村たかし市長、百田尚樹氏、有本香氏が名駅に【中日新聞批判含め36分ノ | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

日本保守党が初の街頭演説 河村たかし市長、百田尚樹氏、有本香氏が名駅に【中日新聞批判含め36分ノーカット】

百田尚樹は同学年。
誕生日は天皇誕生日。

etekoは3月13日。
2日前は、3/11の震災で神さんが祝ってくれたのかなあ。えーん




諏訪のマルトに歩いて、食材を買い出しに行った時に撮った写真。
途中の石内十文字の角の所に朽ち果てた祠がある。
桜川の周りにはこうした祠が幾つもたってる。

6号国道をつっ来たところにも、祠が立っててお地蔵さんが置いてあったり、石碑が経ってる。

そこには、市の碑銘があった。
桜川の周りは戦国時代の古戦場だったみたい。

佐竹氏と福島の相馬あたりを支配してた大名が攻めてきて合戦したみたい。

大きな墓石には、馬神と大きな文字が刻まれている。
小さい頃のetekoは、お馬さんを神様として祀ってるのかと思いこんでいた。

日立市の桜まつりには、イベントとして、相馬の馬追の人達が必ず来ていた。

相馬との付き合いは長いなあ。


歴史を知らないeteko。

古戦場となったのは、桜川あたりだけじゃなく、神峰神社のしたあたりにも石碑が建ってなあ。

後で詳しく歴史をしらべてみよう。





石内十文字を渡るようになったのは、ここから山側に上る坂道の突き当りにあるキリスト幼稚園にかよったころからだなあ。

と言うことは半世紀以上も前だ。
その頃の、個々の祠は、これほど口てなかったなあ。

いろいろ思いだしたなあ。
キリスト幼稚園は、GHQ関連の神父が園長だった。
その園長が100歳くらいで、自国のアメリカで亡くなった言う訃報が市報に載ってたなあ。


茨城キリスト教学園を調べてみよう。
学園の歴史
1947年
昭和22年
1947.11.16 学園の創設者11名の記念撮影学園の歴史
1947年
昭和22年
1947.11.16 学園の創設者11名の記念撮影
学園の誕生
1947年、戦後の日本にキリスト教の平和主義教育の必要性を感じた地元のクリスチャン(日立製作所多賀工場と国立多賀工専の2つ)と、戦前からこの地で伝道を続けていた米国のキリストの教会の3つの流れがひとつとなり、シオン学園綜合大学事業計画を打ち出しました。

同年11月、大甕厚生園で約250名が出席して記念野外礼拝が行われた際、シオン学園の開校が正式に決定されました。

これが、創設の祈りで、茨城キリスト教学園のルーツです。

学園設立を望んでいたE・W・マクミラン博士(初代総長〉のスピーチには、日本人の聴衆全員が深く心を動かされました。


1947.11.16 E.W.マクミラン博士を迎える記念野外礼拝の様子1947.11.16 E.W.マクミラン博士を迎える記念野外礼拝の様子
1947.4.11 シオン学園綜合大学事業計画のメンバー
1947.6.1シオン学園英語夜学校開校1947.6.1シオン学園英語夜学校開校
シオン学園
英語夜学校開校
シオン学園多賀幼稚園開園1947.6.1シオン学園多賀幼稚園開園
シオン学園多賀幼稚園開園
シオン学園総合大学事業計画書の発表
シオン学園設立の祈祷会
1948年
昭和23年
1948.4 シオン学園高等部第一回入学式1948.4 シオン学園高等部 第一回入学式
シオン学園高等部の開校
1948年、高等部が開校しました。競争率4倍を突破した50名が第一期生。開校式兼入学式は学園隣のゴルフ場の芝生の上で行われました。初代ローヤー校長のあいさつは全編英語。それを長埜副校長が名通訳で聞かせる斬新なスタイルで、生徒たちに鮮烈な印象を与えました。

1949年
昭和24年

シオン・カレッジの開校
(後の短期大学)
茨城キリスト教学園に名称を変更
ローガン.J.ファックスローガン.J.ファックス
ローガンのノー・ルール
初代短大学長にローガン・J・ファックスが就任。彼は「ノー・ルール(No Rule)」を提唱し、学園の教育で実践しました。それは「真の学びは、教えられるものではなく、自由な雰囲気の中で『生徒・学生が自ら学びとること』による。よい学校は、生徒・学生たちが自らを教育して自立できる、ルールのない自由な教育が実践できる場である。」というもので  す。この自由な思想は高く評価され、学園内に、はつらつとした雰囲気がみなぎっていきました。


ローガン・J・ファックスについて➡

1950年
昭和25年
学園徽章学園徽章
徽章の制定
1950年、学園微章が完成。「開かれた聖書に高き十字架」のデザインは本学園らしさを象徴しています。「聖書は祭壇に飾られているようなものではなく、日常生活の中でつねに開かれ読まれるからこそ、神の生きた言葉として生活に生命を与える」というプロテスタントの精神を謳ったものです。

茨城キリスト教短期大学開校式1950.4.17 茨城キリスト教短期大学開校式
茨城キリスト教短期大学開学
1955年
昭和30年

「我らが学園の理想」起草
第2代総長に就任したローガン・J・ファックスは1955年1月、「我らが学園の理想」を発表しました。キリスト教の愛に根差し、リベラルな学園作りを推進するという情熱的なメッセージが多くの人の心をとらえました。

「茨城クリスチャン・エデュケーター」に掲載された「我らが学園の理想」「Ibarakiクリスチャン・エデュケーター」に掲載された「我らが学園の理想」
夏季カウンセリング講習会夏季カウンセリング講習会
第1回夏季カウンセリング講習会開催
ローガン・J・ファックスはシカゴ大学でカウンセリングを修め、1955年以降14回にわたり夏季カウンセリング講習会を開催しました。恩師カール・ロジャーズ博士から学んだ当時最先端のカウンセリングを日本に紹介した功労者でもあったのです。

1960年
昭和35年
カウンセリング研究所竣工カウンセリング研究所竣工
カウンセリング研究所竣工
1962年
昭和37年
第1回中学校入学試験1962 第1回中学校入学試験
中学校の誕生から発展
1962年、女子中学校として発足した茨城キリスト教学園中学校は、2004年、念願であった男女共学を実現し、さらに完全中高一貫6年制教育を開始しました。キリスト教精神に基づく豊かな人間教育と地域社会、国際社会の要請にこたえる人間の育成を教育目標としています。

1965年
昭和40年
学園講堂竣工
学園講堂竣工(現・ローガン・ファックス記念講堂)

1967年
昭和42年
1967.4 大学開学第1回生1967.4 大学開学第1回生
茨城キリスト教大学
開学
1967年、茨城キリスト教大学が誕生しました。キリスト教学科(定員20名)、英語英米文学科(定員80名)からなり、第1期生111名の新入生を迎えて開学しました。

1974年
昭和49年
キアラ館(礼拝堂)竣工
キアラ館(礼拝堂)竣工
キアラ館を見る➡


1991年
平成3年
我らが学園の教育理念
「我らが学園の教育理念」策定
1989年、佐々木 良一理事長・総長は学園の教育理念の見直しに本格的に着手します。ローガン・J・ファックスの「我らが学園の理想」の精神を受け継ぎながら、次の時代を見据えた指針として、1991年「我らが学園の教育理念」を策定しました。

1995年
平成7年
茨城キリスト教大学大学院開設(文学研究科)大学院設立パンフレットより
茨城キリスト教大学大学院開設(文学研究科)
2000年
平成12年
2000年度 短期大学部入学式2000年度 短期大学部入学式
大学と短期大学の統合
大学に生活科学部開設
学園宗教センター設置(現・学園キリスト教センター)
2004年
平成16年
看護学部開設記念式典2004.4 看護学部開設記念式典
地域とともに歩む大学
地域社会に貢献する人間性豊かな人材を育成する。それが、本大学のモットーです。1967年、文学部としてスタートを切り、地域の要請とともに教育内容を拡充してきました。文学部児童教育学科(1982)や看護学科(2004)の設立はその象徴です。現在では、文学部、生活科学部、看護学部、経営学部の4学部8学科専攻を備え、地域に役立つ若者を育成しています。

中高一貫教育開始
大学に看護学部開設
2005年
平成17年

幼稚園を大学附属とする
2006年
平成18年
茨城県初の認定こども園茨城県初の認定こども園
茨城県初の認定こども園として
せいじ園スタート
2007年
平成19年

大学が大学基準協会から適合認定を受ける
2010年
平成22年
認定こども園みらい園開園
認定こども園みらい園開園
2011年
平成23年

東日本大震災
学園も被害を受けましたが、学生・教職員は積極的に被災地に出向き、ボランティア活動等の支援を続けました。

大学11号館大学11号館完成
大学11号館完成
大震災に耐え、大学のフラッグシップとなる11号館が完成しました。意匠は学園礼拝堂「キアラ館」からもモチーフを得ています。

大学に経営学部開設
大学院に生活科学研究科、看護学研究科開設
2013年
平成25年
認定こども園せいじ園新園舎竣工
認定こども園せいじ園新園舎竣工
2017年
平成29年
学園創立70周年
学園創立70周年
学園創立70周年記念式典の様子を見る➡

2018年
平成30年
学園新正門開門
学園新正門開門
2018.12. 大甕(おおみか)駅西口広場に直結する新しい正門がオープンしました。
学園の誕生
1947年、戦後の日本にキリスト教の平和主義教育の必要性を感じた地元のクリスチャン(日立製作所多賀工場と国立多賀工専の2つ)と、戦前からこの地で伝道を続けていた米国のキリストの教会の3つの流れがひとつとなり、シオン学園綜合大学事業計画を打ち出しました。

同年11月、大甕厚生園で約250名が出席して記念野外礼拝が行われた際、シオン学園の開校が正式に決定されました。

これが、創設の祈りで、茨城キリスト教学園のルーツです。

学園設立を望んでいたE・W・マクミラン博士(初代総長〉のスピーチには、日本人の聴衆全員が深く心を動かされました。


1947.11.16 E.W.マクミラン博士を迎える記念野外礼拝の様子1947.11.16 E.W.マクミラン博士を迎える記念野外礼拝の様子
1947.4.11 シオン学園綜合大学事業計画のメンバー
1947.6.1シオン学園英語夜学校開校1947.6.1シオン学園英語夜学校開校
シオン学園
英語夜学校開校
シオン学園多賀幼稚園開園1947.6.1シオン学園多賀幼稚園開園
シオン学園多賀幼稚園開園
シオン学園総合大学事業計画書の発表
シオン学園設立の祈祷会
1948年
昭和23年
1948.4 シオン学園高等部第一回入学式1948.4 シオン学園高等部 第一回入学式
シオン学園高等部の開校
1948年、高等部が開校しました。競争率4倍を突破した50名が第一期生。開校式兼入学式は学園隣のゴルフ場の芝生の上で行われました。初代ローヤー校長のあいさつは全編英語。それを長埜副校長が名通訳で聞かせる斬新なスタイルで、生徒たちに鮮烈な印象を与えました。

1949年
昭和24年

シオン・カレッジの開校
(後の短期大学)
茨城キリスト教学園に名称を変更
ローガン.J.ファックスローガン.J.ファックス
ローガンのノー・ルール
初代短大学長にローガン・J・ファックスが就任。彼は「ノー・ルール(No Rule)」を提唱し、学園の教育で実践しました。それは「真の学びは、教えられるものではなく、自由な雰囲気の中で『生徒・学生が自ら学びとること』による。よい学校は、生徒・学生たちが自らを教育して自立できる、ルールのない自由な教育が実践できる場である。」というもので  す。この自由な思想は高く評価され、学園内に、はつらつとした雰囲気がみなぎっていきました。


ローガン・J・ファックスについて➡

1950年
昭和25年
学園徽章学園徽章
徽章の制定
1950年、学園微章が完成。「開かれた聖書に高き十字架」のデザインは本学園らしさを象徴しています。「聖書は祭壇に飾られているようなものではなく、日常生活の中でつねに開かれ読まれるからこそ、神の生きた言葉として生活に生命を与える」というプロテスタントの精神を謳ったものです。

茨城キリスト教短期大学開校式1950.4.17 茨城キリスト教短期大学開校式
茨城キリスト教短期大学開学
1955年
昭和30年

「我らが学園の理想」起草
第2代総長に就任したローガン・J・ファックスは1955年1月、「我らが学園の理想」を発表しました。キリスト教の愛に根差し、リベラルな学園作りを推進するという情熱的なメッセージが多くの人の心をとらえました。

「茨城クリスチャン・エデュケーター」に掲載された「我らが学園の理想」「Ibarakiクリスチャン・エデュケーター」に掲載された「我らが学園の理想」
夏季カウンセリング講習会夏季カウンセリング講習会
第1回夏季カウンセリング講習会開催
ローガン・J・ファックスはシカゴ大学でカウンセリングを修め、1955年以降14回にわたり夏季カウンセリング講習会を開催しました。恩師カール・ロジャーズ博士から学んだ当時最先端のカウンセリングを日本に紹介した功労者でもあったのです。

1960年
昭和35年
カウンセリング研究所竣工カウンセリング研究所竣工
カウンセリング研究所竣工
1962年
昭和37年
第1回中学校入学試験1962 第1回中学校入学試験
中学校の誕生から発展
1962年、女子中学校として発足した茨城キリスト教学園中学校は、2004年、念願であった男女共学を実現し、さらに完全中高一貫6年制教育を開始しました。キリスト教精神に基づく豊かな人間教育と地域社会、国際社会の要請にこたえる人間の育成を教育目標としています。

1965年
昭和40年
学園講堂竣工
学園講堂竣工(現・ローガン・ファックス記念講堂)

1967年
昭和42年
1967.4 大学開学第1回生1967.4 大学開学第1回生
茨城キリスト教大学
開学
1967年、茨城キリスト教大学が誕生しました。キリスト教学科(定員20名)、英語英米文学科(定員80名)からなり、第1期生111名の新入生を迎えて開学しました。

1974年
昭和49年
キアラ館(礼拝堂)竣工
キアラ館(礼拝堂)竣工
キアラ館を見る➡


1991年
平成3年
我らが学園の教育理念
「我らが学園の教育理念」策定
1989年、佐々木 良一理事長・総長は学園の教育理念の見直しに本格的に着手します。ローガン・J・ファックスの「我らが学園の理想」の精神を受け継ぎながら、次の時代を見据えた指針として、1991年「我らが学園の教育理念」を策定しました。

1995年
平成7年
茨城キリスト教大学大学院開設(文学研究科)大学院設立パンフレットより
茨城キリスト教大学大学院開設(文学研究科)
2000年
平成12年
2000年度 短期大学部入学式2000年度 短期大学部入学式
大学と短期大学の統合
大学に生活科学部開設
学園宗教センター設置(現・学園キリスト教センター)
2004年
平成16年
看護学部開設記念式典2004.4 看護学部開設記念式典
地域とともに歩む大学
地域社会に貢献する人間性豊かな人材を育成する。それが、本大学のモットーです。1967年、文学部としてスタートを切り、地域の要請とともに教育内容を拡充してきました。文学部児童教育学科(1982)や看護学科(2004)の設立はその象徴です。現在では、文学部、生活科学部、看護学部、経営学部の4学部8学科専攻を備え、地域に役立つ若者を育成しています。

中高一貫教育開始
大学に看護学部開設
2005年
平成17年

幼稚園を大学附属とする
2006年
平成18年
茨城県初の認定こども園茨城県初の認定こども園
茨城県初の認定こども園として
せいじ園スタート
2007年
平成19年

大学が大学基準協会から適合認定を受ける
2010年
平成22年
認定こども園みらい園開園
認定こども園みらい園開園
2011年
平成23年

東日本大震災
学園も被害を受けましたが、学生・教職員は積極的に被災地に出向き、ボランティア活動等の支援を続けました。

大学11号館大学11号館完成
大学11号館完成
大震災に耐え、大学のフラッグシップとなる11号館が完成しました。意匠は学園礼拝堂「キアラ館」からもモチーフを得ています。

大学に経営学部開設
大学院に生活科学研究科、看護学研究科開設
2013年
平成25年
認定こども園せいじ園新園舎竣工
認定こども園せいじ園新園舎竣工
2017年
平成29年
学園創立70周年
学園創立70周年
学園創立70周年記念式典の様子を見る➡

2018年
平成30年
学園新正門開門
学園新正門開門
2018.12. 大甕(おおみか)駅西口広場に直結する新しい正門がオープンしました。


上手く茨城キリスト教学園の歴史の記事を晴れなかった。ガーン

茨城キリスト教学園の敷地は後から知ったんだけど、大みかゴルフクラブの敷地をGHQに取り上げられた土地の半分くらいを使ってたてられていた。

この学園の幼稚園が多賀地区にも建てられた。
そこに、etekoは通ったんだなあ。

幼稚園の時の遠足で、この茨城キリスト学園に遠足に行ったのを記憶してる。

その頃は、牧場の原っぱだと思ってた。

この地域には、いろいろな想い出があるなあ。
etkoが勤めていた4階のCAD室の窓からは、常磐線を挟んで、大みかゴルフクラブの打ちっぱなしのゴルフ練習場がまる見えだった。
ここの練習場は、線路の境界に伸びる土手間でゴルフ・ボールを打ち込む。
土手間で届くボールは一つもないよ。

打つ場所は、ゴムマットが20席くらい置いてある。
線路の土手から20ヤードぐらいは、ボールは届いてないなあ。

300ヤードくらいはあるのか。
etekoが知ってる打ちっぱなしの練習場では一番広い練習上場だなあ。

大みかゴルフクラブは戦前までは、18ホールだった。
ゴルフ場の設計者は、日本では、名門のゴルフ場を設計した有名な人だヨ。

今は名前が出てこない。
大洗ゴルフ倶楽部と同じ設計者だよ。

大みかゴルフクラブは、日立製作所の社員なららメンバーになれるよ。

メンバーになって、大みかゴルフクラブに良く通ってたなあ。
月例とかもあって、ハンディの名札も貼りだされていた。

その時のゴルフ場は、6ホールだけ遺っていた。
手押し車にバックを積んで、6ホールを3回まわって18ホールだったか。

料金は何回回っても同じだった。
いくらだったろう。

思い出せないなあ。

周りのまともなゴルフ場よりは少しだけ安かったような気がする。




もともとのゲストハウスは、神社風の建屋になっている。
その横に建てられたプレハブが受け付けになっていた。



いろいろ、昔の記憶がよみがえってきたなあ。


どうでもいいことを書き綴ってい。
すこしづつ纏めていこう。

まとまるまで生きてるかなあ。



茨城キリスト学園の記事と写真もうまく編集できなかったなあ。ショボーンショボーン