パサカリエeteko5335.mpg
この動画をアップしたの15年も以上の昔になっちゃた。
この5年くらい前に、etekoの親父は亡くなった。
あれは、西暦何年だったんだろう。
20年前と言うと、2003年頃だね。
あの頃は、まだ会社に勤めてたなあ。
親父が亡くなってから、まだ、20年は経っていないんだね。
19年目かなあ。
18年、17年目かなあ。
親父が亡くなった年に、etekoは、社会人になってから勤めてた会社を自主リストラした。
それまで、地元の日立製作所関連の、日立エンジニアリング(株)と言う会社で働いていた。
etekoは、文系の大学の卒業生だよ。
最初は、経理部の横にある技術部と言う部署に回された。
この部署は、あきれ果てる課長の男と、高卒の若い女子が二人いた。
そんな部署に、etekoは配属された。
大卒のetekoと、高卒の女子が2人。
こんな部署では、社内結婚が即に成立するだろう。
でも、いろいろあって、その部署を、etekoは首になる。
一週間くらい休んで、辞表を持っていたら、工場長室に呼び出された。
工場長と面談して、etekoがみんな悪いと言われた。
涙が流れた。
工場長よ、あんたは、なにも分かっちゃあないだろう。
そう思うと、いっそう、瞼から悔し涙がこぼれた。
その時に、工場長から言われたのは、技術課を離れて、CAD室に行けと言う事だった。
CADと言うか、コンピュ-タと付き合いだしたのは。1980年からだった。
それから、23年くらいは、コンピュ-タと付き合ってきた。
十王にあった工場から、大甕にある、電子工場に移動になった。
その工場では、遠望監視装置の部門の管理部に配属された。
電子工場には、いくつかの部門が入っていた。
後々、分かるのだが、日立エンジニアリング(株)の社員の幹部社員は、その上にある日立製作所の工場からの転属組だ。
転属と言うか、天下り要因だ。
そして、若い社員は、今の覇権のように、安い給料の子会社、孫請けの会社に集められた若者達だった。