「ジャニーズを存続させていいのか」新社長・東山紀之を悩ませる、ジャニーズの「根深すぎる病巣」
FRIDAYデジタル によるストーリー •3 時間
前の記事『藤島ジュリー社長自らが登場し…ジャニーズ事務所の存在価値を揺るがした「人間宣言」の重すぎる中身』では、藤島ジュリー社長がジャニー喜多川元社長による事務所所属タレントへの性加害問題を認めた動画が公開されたのを機に、ジャニーズ事務所のタレントの価値が一変してしまったことを取り上げた。実は、アイドル文化そのものに「性加害」と結びつきやすい特徴があることも問題の一端だったのかもしれない。
「好きになってもらう仕事」の危険性
いや、実はジャニーズ・アイドルに限らない。川崎氏はそれらの「システム」を「欲望の外面化」等として捉えるなら、女子アイドルもまたその嫡流であると批判している。
すると、たとえばAKB48の絶頂期、さまざまな仕事で彼女たちに関与した私もまた「共犯者」ということになるだろう。
川崎氏の論を真正面から受け取るなら、そうなるはずだ。なるほど、これはいちスキャンダルではなく、日本のアイドル文化そのものに対する全否定、猛批判だ。アイドル評論家としての私も考えなければならない。
さて、アイドルとは何だろう? かつて私は「好きになってもらう仕事」だと書いた。
ハロー!プロジェクトも多くの人気グループアイドルを生み出した© FRIDAYデジタル
”推し”、”推し活”という言葉が一般化したが、アイドル文化においてはファンが強い主体性を持つ。そうして、アイドルのプロデューサーとは「一番最初に好きになる」ファンであり、さらに「より好きになる」ようプロデュースする存在だ、と説いた。
この「好きになる」ことは、「推す」と言っても、さらには「愛」と呼び変えてもいいだろう。そう、アイドル文化の根幹には「愛」がある。しかし、その「愛」は先述のとおり、性加害問題と繋がっているようなのだ。
「世界最高のプロデューサー」と認められるが
ジャニー喜多川は偉大なレジェンドだ。我が国の戦後芸能界に大きな足跡を遺した。1962年、ジャニーズ事務所を創設して、なんと57年間もそのトップの座に君臨し続けた。’19年、87歳で亡くなると、東京ドームにて盛大なお別れ会が催され、さながら「国民的な」追悼報道がなされたものだ。
’19年9月4日に東京ドームで行われた、ジャニー喜多川氏のお別れ会の様子© FRIDAYデジタル
彼が手掛けたジャニーズ事務所のアイドルを抜きにして、戦後の芸能界は成立しない。現在でも、同事務所のアイドルをテレビで見ない日はない。すごいことだ。
その彼が死の4年後、性加害者として激しい非難を浴びている(ジャニー喜多川を世界記録に認定したギネスワールドレコーズも、性加害報道の端緒を開いたBBC放送も、皮肉なことに共にイギリスの組織である)。
東山紀之が思い悩む意味
国民的作曲家・服部良一の次男・吉次氏の告発が衝撃を与えた。氏がジャニーから性加害を受けたのは小学2年生の頃、複数の同級生らと共にだという。およそ70年前のこと。日本が敗戦後の占領下から脱する頃である。
それからジャニー喜多川が晩年に至るまで性加害を続けていた、という証言を信じるならば、いったいどれほどの膨大な被害者が存在することだろう? 気が遠くなる。数百人……いや、千人単位にものぼるという声もあった。(告発者の平本淳也氏は「2500人以上」と推測する。)。数多くの人気アイドルを世に送り、ヒット曲をプロデュースして世界記録を達成した、輝かしい芸能界の一大レジェンド。それが半世紀以上にもわたり膨大な数の被害者を生んだ、おぞましい性加害者として告発を受けている。この強烈な光と影が、一人の人間、一つの人格の内にあっただろう――というめくるめく現実を前に、震える。
そうして、それはジャニー喜多川一人のものではなく、この国の(私の愛する!)アイドル文化そのものに内在する光と影である――という仮定に、おののきを覚える。
ジャニーズ事務所はなくなってしまう、かもしれない。一時期は名前が消え、変わるのでは…とも言われていた。なるほどその名称には、今やくっきりと性加害者の烙印が押されているのである。結局、事務所名は当面存続されることになった。
ジャニーズ事務所の「改名」といえる部分にまで言及した東山紀之© FRIDAYデジタル
現在、同事務所の最年長タレントである東山紀之が、自らキャスターを務める番組(『サンデーLIVE!!』)で謝罪すると共に「そもそもジャニーズという名前を存続させるべきなのか」と発言していたことは、暗示的だ。そう、その東山こそが同事務所の新社長に就任することを表明したのだから。
「欲望のジャニーズ論」をいま語る意味
いま、私はジャニーズについて語ろうと思う。ジャニー喜多川の光と影、その両方を直視して、彼が築き上げた一大帝国のアイドルたちを論じてみたい。
一市民としての私は、性加害を許容できない。断罪されるべきだ。しかし、アイドル評論家としては、異なる視点を持っている。アイドルを「愛する」ことにともなう(根本的な)罪があるなら、その罪を引き受けたい。
そう、「共犯者」として私は語ろうと思う。
9月7日に行われた会見では、経営陣が謝罪を行う事態に© FRIDAYデジタル
川崎大助氏の論には「欲望」という言葉が見られた。アイドルは輝くことを「欲望」する。ファンはアイドルを「欲望」する。そうしてプロデューサーもまた「欲望」する(ここにジャニー喜多川の問題もある)。
アイドル文化とは、そんな多様な「欲望」の交錯する場所なのだ。アイドルを推すこと、愛すること、欲望すること――輝かしいものとおぞましいもの、光と影のそのいっさいから目をそらすことなく、論じたい。
と、それは名づけられるだろう。取材・文:中森明夫