みんな中凶がらみか。
悪代官さん達は、中凶にすり寄って甘い汁を吸う売国奴ばかり。
売国奴でないと政治家にはなれない日本は終わりだなあ。
安倍暗殺も中凶がらみだと思ってる。
山上は日本のオズワルド。
バカを見るのは、日本で生まれた日本人だけ。
冬の一番寒い日に、外に張り出してる水道管が凍り付いて漏水し始めた。
ボロ屋敷に敷地内に張り巡らしてある水道管は、元栓から、3.11の震災後に新たにお風呂とかトイレ、キッチの方に、引き直してもらった。
etekoのボロ屋敷が建った60年前には、大きな二階建ての家に、30人近くの人間が寝泊まりしてた。
最初は、日立製作所の国分工場の寮だった。
昭和35年から、etekoのボロ屋敷は、国分工場の男子寮になった。
当時は、日立製作所は、日本の経済発展に乗りにノリノリで、右肩上がりの成長を遂げていた。
多賀地区には、白玉家電の多賀工場と重電機部門の国分工場が、日本の戦後の経済発展の波に乗ってアゲアゲだった。
全国から社員を募集してた。
東京では、金の卵と呼ばれる集団就職のテレビ映像で何度も見た。
それからしばらくして、日立市にも金の卵と呼ばれる若者たちが流れてきた。
日立市は、戦前は日立鉱山の隆盛で、周りから人が集まってきた。
そして、戦後は日立製作所の隆盛で、主には東北地方から、人が流れてきた。
一挙に、日立市の人口は増えた。
etekoは、日立市の人口は、ずーと20万にくらいと思ってた。
その頃の日立市の多賀地区は、農村地帯だった。
流入してきた人々の住む住宅が皆無だった。
地方から流れて来る社員の社宅を作るのが追い付かなかった。
親父は、日立鉱山の城下町から、多賀地区に、移った。
それも、30代の初期の頃だった。
新町の米屋で稼いだのか。
それも、戦後の復員兵として帰ってきた10年くらいの間だ。
その間、親父は、ナカちゃんと結婚して、etekoが生まれた。
そして、その後には、妹のブーさんが生まれた。
その間、etekoの親父は、新町で、米屋をやってて、羽振りは良かった。
なにしろ、多賀地区に移るのに、今のetekoのボロ屋敷を建てたからね。
借金したんだろうか。
そんな離しは聞いてない。
親父は、月賦とか、ローンが嫌いだった。
一括払いで、ネギれるだけ値切ると言う人だった。
etekoのボロ屋敷を建てた時、祖父は、一円も出してくれなかったと言っていた。


