青山繁晴が、etekoの地元に来てたんだ。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

【ぼくらの国会・第334回】ニュースの尻尾「ウクライナショックに震える原発の地元でエネルギーの嘘を暴く-ぼくらの国会@茨城」<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/o1A8mXxYC1Q" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>

青山さんは、4月29日に、茨城県で講演してたんだ。
知らなかった。

動画を見てたら、etekoの地元の日立市の天地閣と言うホテルだった。

まったく知らんかった。

市報に載ってたのかなあ。

知らんかった。

天地閣のホテルの横を海のバイパスを通る時には、何ひゃかいと走ってたなあ。
天地閣の中にも、何度か入ったことがあるなあ。

天地閣の中に初めて入ったのは、今から44年前だなあ。
この時は、etekoが社会人になって、日立エンジニアリング(株)と言う会社に潜り込んだ暮れの頃だったなあ。

この年に、etekoは、社会人になるのと同時に、地元の社会人バンドに入った。

このバンドは、多賀の青少年センターのスタジオで練習をしてた。
メンバーは、etekoよりも、年上の人達だった。
すぐに、このバンドが、スタジオから漏れてくる音を聞いて、ベンチャーズのコビーバンド崩れだと言うのが分かった。
音を聞いて、かっこだけで、エレキ・ギターを始めたヘタッピ・バンドた゛と言うことが分かった。

ベースのリーダーの男に、バンドに入りたいと言うと、直ぐに入会を許してくれた。
入れたのは、エレキ・ギターを持ってるかどうかだった。
etekoは、学生時代に先輩から売りつけられたグレコのセミアコを持っていた。

その時、バンドには、サイドギターが、欠けてたみたい。
青少センターのスタジオには、アンプ、ドラマセット、マイクなんかがそろっていた。

それらは、市の補助金やメンバーの出資で揃えたみたいだった。
ただ、サイド・ギターのメンバーがいなかった。

後から、元々、サイドギターのメンバーが、無理矢理キィーボードに転向させらたみたい。
今は、町のヤマハの音楽教室に通わせていると言うのが分かった。


大学時代は、音楽サークルに入ってて音楽活動をしてた。
その乗りで、社会人になったら、バンドをやりたいと思ってた。

そして、バンドに入会した時期が良かった。

このバンドは、定期的に町で開かれるダンスパーティのバックバンドをやってたみたい。
暮れごろになると、支所のコンサート・ホールなんかに呼ばれて、社交ダンスのバクバンドで呼ばれた。

その中に、天地閣ホテルがあった。
青山さんが話してる壇上に機材を並べて演奏した。
聴衆が座ってる椅子は、かたずけられてダンスホールが作られていた。

etekoの社会人バンドのデビューは、地元では華やかなものだったなあ。

このバンドは、一年くらいで、バンマスのわがままで、解散してしまった。

青山さんの動画を見てたらいろいろ思い出した。


明日も生きてたら、ちらちらと書き散らかしていこう。