高中モドキ1-eteko5336.mpg だす。
40年も前に、etekoはこんな事やってたんだね。
購入した、シンセサイザー、リズムマシーン、シーケンサーで、高中の楽曲を打ち込んでカラオケ作ったよ。
そのカラオケを流しながら、ライン取りで、ES335を適当に弾いて音源を作ってた。
作ってたと言うか、ギターのお稽古だったんだけどね。
この頃が、最後だったなあ。
ギターを弾いてたのはのね。
この頃、潜り込んだ会社の仕事が余りに椅子がし過ぎて、ギターも弾けなくなった。
音楽活動もできなくなった。
それから30年近い年月が過ぎた。
社会人になってから勤めてた会社は、いろいろあって自主リストラした。
その頃からは、昭和一桁生まれの介護と言うか、緊急入院に付き合わされる日々が続いた。
ブラックな会社よりもハードな両親の介護生活が重なった。
ブラックな会社を自主リストラした。
その年に親父は、入院してた、久慈浜の港病院で亡くなった。
死に目には会えなかった。
ただ、亡くなる前日に一人で見舞いに行った。
親父は喘息の持病もちで、若い頃からから、年に一、二回の入院暮らしをしてた。
そんなもんで、日立の総合病院の鉱山病院から始まって、日立、多賀病院には、何度も通っていた。
親父が亡くなる日の前の週には、親父の所に見舞いに行った。
家でナタ柿を、ナカちゃんが、蚊っとしてマヨ―ネーズをかけて、タッバに入れて持たせてくれた。
親父は無くなるまでわがままと言うか自己中だった。
胃がんを多賀病院で切ってからは、職は細くなった。
相撲取りみたいな体格は、あっという間に、骨と皮になってしまった。
その間、何度も脳梗塞や心筋梗塞を起こして、救急車で運ばれ緊急入院した。
そのたびに、救急車に同情したetekoだった。
そんな親父は、入院した病院の病院食がまずいと言って、病院食を拒否した、
自分の口に合わない食は、ちゃぶ台返しするという人間だった。
当然、身体はやせ細る。
栄養剤の点滴だけで寝てる状態だった。
それでも、身体がというか、気分が回復すると、病院を自主退院して、ボロ屋敷に帰ってくる。
病院から帰ってきても、寝たっきりなんだけどね。
それでいて2、3か月の間には、脳梗塞とか心筋梗塞を起こして緊急入院してた。
最後の頃は、損なく繰り返しだった。
etekoが会社で忙しくしてるよりも、家の方が忙しくなったよ。
そして、母親のナカちゃんも、糖尿病が酷くなって、いろいろな病気の症状が出てきたよ。
若い頃から、てをあげてられないと言うのは言ってた。
若い頃に運転免許を取得したけど、ハンドルを握ってると手が痛くなると言って、免許を更新しなかった70代になるまで、車は運転しなかった。
半世紀以上もペーパードライバーだった。
何か、今になって、昔の事をいろいろ思い出すなあ。
このまま書いてると、眠れなくなっちゃうよ。
取りあえずは、ここで終わるよ。