2022/3/23(水) 井上和彦×江崎道朗×ナザレンコ・アンドリー×居島一平【虎ノ門ニュース】 | eteko屋スタジオ

eteko屋スタジオ

勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



2022/3/23(水) 井上和彦×江崎道朗×ナザレンコ・アンドリー×居島一平【虎ノ門ニュース】

ロシアはどうなるんだろ。

ウクライナはどうなるんだろう。

キンペイはどうするんだろう。

国連はどうなるんだろう。

常任理事国のロシアが戦争を始めた。
中凶が常任理事国っておかしいなあ。

アメリカが作った第二次世界大戦後の世界は、第三次世界大戦の始まりとともにリセットされる。

プーチンは核戦争のスタートボタンを押すのか。

グレートリセット後の地球に何人の人類が生き残るのか。?


グレートリセット後の世界に、etekoは、生きてるのかなあ。


大きな地震があった次の日、仏壇のあるナカちゃんの部屋に線香を上げに行った。
想定した通りに、天井近くの鴨居?に掲げてある叔父さんの遺影がづり落ちていた。

昨日の地震は、福島沖と言う事だった。
3.11の震災の時に体験した揺れを、11年ぶりに味わった。

地震は、前日の23時30分過ぎに来た。

テレビとスマホに、久しぶりに聞く緊急地震警報の音が鳴り響いたから、激しい揺れが来た。

リビングの部屋が激しく揺れた。
コタツの上に置いてある湯呑に半分くらい残ってた水割り焼酎が、波打って容器からこぼれ出すのを目の前で見て、直ぐに手で持ち上げた。

近くには、PCが置いてある。
こぼれた液体がPCにこぼれるとまずいと思った。
素早く、etekoは、反応した。

リビング・ルームの揺れを見てた。
etekoハウスが、初めて経験する地震の酷い揺れだった。

なにしろ、etekoハウスは、3.11の震災後に建てたからね。
2011年の3月の11日の午前中に、etekoハウスの更地で、4人だけの地鎮祭をやったよ。

4人と言うのは、タマホームの担当のオジさんと、オジさんが千葉県の方から呼んだ神主さんだ。
後の2人は、建て主側のナカちゃんとetekoだった。

午前中に寂しい地鎮祭を済ませて、桜川のぼろ屋敷に、etekoとナカちゃんは、戻っていた。

そしたら、午後から、地面が揺れだした。
そして、電気も水道も、あらゆるインフラが寸断された。


あれから11年目に来た酷い地震の揺れ。
あの時の揺れと違ったのは、長く続かなかったことだ。
直ぐに揺れは止まった。

直ぐでも、なかったけど、11年前の揺れと比較してる自分がいた。

そして、直ぐに、2度目の揺れが来た。

テレビは、地震の緊急放送を始めた。
津波は、東北の二太平洋側では、1メートルくらいと言ってた。

揺れは酷かったが、3.11の震災ほどではないみたい。

日が変わった頃に、etekoは眠りについてしまった。



大きな地震のあった次の日、仏壇のあるナカちゃんの部屋に入る。
驚いたことに、ナカちゃんの使ってた、衣装ケースの引き出し部分が、勝手に飛び出していた。
そして、扉もあいてた。
ベットの枕元に置いてある小物入れの箪笥?も小さな引き出しが少し飛び出ていた。

etekoハウスでこんな光景を見たのは初めてだった。
昨日の地震の揺れの激しさをものがってる。びっくり





想定してた通りに、叔父さんの遺影はずり落ちていた。
遺影は、天井の上の方に、頭が半円になってる木ネジみたいなのを取り付けて、紐でつるしてある。

遺影は、下に少し傾けて、押し入れ枠の所を支えにして、少し傾けてて掲げてある。

叔父さんの遺影は、ここに掲げてから、4回ぐらいずり落ちてる。

叔父さんは、亡くなるまで独り者だった。
病弱になって寝込むようになってからは、兄弟の姪御に面倒を見てもらってたよ。

亡くなった後に、僅かな遺産の相続問題が、残ってる兄弟の間で出たんだけど、親父の兄弟の間で続いてる親族のいがみ合いで、まとまっていないよ。

その不満があって、叔父さんの遺影だけが、押し入れの枠からずり落ちるのかもと思ったりした。

でも、冷静に考えてみると、叔父さんの遺影が部屋の一番片隅になってるよ。

地震があった時に、揺れが一番酷い場所に掲げてあるからだと思った。
それに、家の入ってる額縁も、一番軽い。

押し入れに入れてある仏壇の開き扉も動いてた。

中に置いてあるものは、倒れてるものはなかったけど、少しは動いてるのかなあ。ショボーン



ずれ落ちた叔父さんの遺影を直しながら、いろいろなことを思い出した。
親父の両親は、福島の会津が実家だった。
大東亜戦争前に、ブラジルに移住して、一旗揚げようと、幼い二人の子供を、地元の親戚にあづけて、財産を整理して、神戸まで向かったと言う。
財産と言っても、利息三文で、手持ちの田畑を売り払ったんだろう。

神戸から日本からの移民を載せる船が出てたらしい。
移民でブラジルに渡航するにも、お国からのいろいろな許可が必要だったみたいだった。
祖父母は、ブラジルに渡るために、神戸まで行ったのだか゛、最終試験で、祖父が引っかかって、渡航できなくなったみたいだ。

祖父の病弱な身体と弱視がひかかったとも聞いている。

祖父母は、ブラジルに渡れなくなった。
途方に暮れた、祖父母は、持ち金も使い果たしていた。
仕方なく、その頃、日立鉱山で景気の良かった、茨城県の日立市まで戻ることにした。
福島の会津に近い場所で、景気のいい場所は、茨城県の日立市だった。

日立市に住み着いた祖父母は、最初は何をやって働いていたんだろう。
etekoが生まれた時には、弁天町で米屋をやっていた。
日立市まで戻ってきたは、この地で、2男3女の子供を授かった。

二男は、双子だった。
その一人が、遺影の叔父さんだった。
この双子の性格は、身体はそっくりだが、性格は、真逆だった。

祖父母の性格の善悪が分離したような形になった。

親父は、この祖父母が、会津を出ていった時に、幼い二人の姉弟として、親戚の家にあずけられた。

祖父母がブラジル渡って一旗揚げたら、会津に錦の旗を飾って戻るつもりだっったんだろう。
そして、幼いわが子を引き戻すつもりだったんだろう。

でも、その夢は、初っ端から砕かれた。

姉は、成人近くで、嫁になって、預けられていた親戚の家を出ていった。
親父は、親父で、少年兵で志願し、成人前に、帝国陸軍に入隊した。

親父は、帝国陸軍に入隊して、帝都辺りにいたらしい。
敗戦で、両親の住む日立市まで、帰還兵として戻って来たらしい。
そこには、年の離れた5人の姉弟がいた。

最初は、祖父母のお店の屋台骨として働いたんだろう。
親父は、身体の弱い祖父よりは、祖母の方の血を多く受け継いでいた。
会津の親戚の家にあづけられたころは、幼いころから、家の労働力として働かされていた。

そんなこともあり、幼年兵で、帝国陸軍にも入隊した。

幼い頃から、身体を動かしてて、肉体的には、強靭になっていた。

その為に、下級兵の頃から、上からは一目置かれていた。

その時に出会ったのが、戦後、日立市の隣の常陸太田市から出た大物代議士のKだった。

ラジオ屋 (創作ノート 2022.3.23)

私と、一さんは、地元の桜川一家の客分として、組の顔になっていた。
客分と言っても、地元の日立市に、戦後、帰還兵として帰ってきただけなのだが。

地元と言っても、正確に言うと違う。

私は、日立市の隣の常陸太田市だ。
大日本史を編纂始めた水戸光圀の隠居所のすぐ近くで生まれた。

一さんは、両親が住み着いた日立市に帰ってきた。

二人の出会いは、半島がらみだった。
二人は、実家に戻る時に、水戸駅で出会った。

水戸駅で、若い女の子の二人が、半島のグレン隊の4,5人に絡まれていた。

周りには、買い出しに疲れて生気を失った顔の日本人の野次馬が囲んでいた。

半島のグレン隊達は、リーダ格の男を先頭に、「俺たちは、戦勝国人だぞ。やらせろ。」と、茨城弁のへんてこなイントネーションに輪をかけたような半島訛りで脅していた。

私は、思わず、生気のない野次馬の輪の中から飛びだしていた。

「お前ら、何してるんだ。」

半島のグレン隊は、私の姿を見て一瞬ひるんだ。
私の格好は、直ぐに兵隊帰りだと分かるボロを着ていた、その上に元気のいい若い日本人だったからだった。

体つきは細身だか゛、長身の方だった。

しかし、多勢に無勢だった。

「なんだあ、このニッポンジン。」

と言う怒号とともに、取っ組み合いになった。

前の男は、殴り倒したが、囲んでいた他の仲間から、私に向かって、あらゆる方向から、鉄拳や蹴りが飛んできた。

鼻血が飛び散り、口の中が切れたのが分かった。
記憶が飛びそうになった。

そんな時に、生気のない野次馬の中から、私に加勢する男が一人、飛び出てきた。

私を取り囲んで、半島のグレン隊を引き離し、その顔に鉄拳を浴びせた。

引きはがされて鉄拳を浴びせられた半島のグレン隊は、ぐぇっと、雄たけびを上げて倒れこんだ。

私の周りの半島のグレン隊は、みんなうずくまった。

そして、苦しそうに立ち上がると、立ち上がれそうにない仲間に手を貸して、水戸駅の構内から、生気のない野次馬の輪を割って、逃げ帰っていった。

捨て台詞も履けない状態だった。
肩を支えあって、一刻もこの場所を立ち去りたいと言う風だった。

加勢してくれた男が、膝まづいてる私の肩を叩きながら、「若いの、大丈夫か。」と、声をかけてくれた。

それが、一さんとの最初のであいだった。
ずんぐりしたガタイで、兵隊上がり恰好をしてた。

直ぐに帝国陸軍の出身だと分かった。

一さんは、これから、長い間あっていない両親のいる日立市に帰ると言う。

日立市で米屋をやってるみたいなんて゛、帰ったら店を手伝うつもりだと言う。

ただ、終戦まじかの艦砲射撃や空爆で、どうなってるのか分からない。
一刻も早く帰りたい。

「ありがとう。たすかったよ。」

私は切れた口から、喘ぎながら言うのがやっとだった。

生気のない日本人の野次馬の輪の中から、よくやったと言う小さな拍手と歓声が聞こえてきた。

生気のない日本人の野次馬の輪は、ほぐれていった。













地震のニュースで見てた。
震源地が福島沖だと言う事だった。

テレビに映し出された地図を見ながら、人工地震攻撃と言う妄想と繋がった。

福島原発に近いと言えば近いよなあ。

ロシア軍が、ウクライナでチェリノブイリや原発を攻撃してると言うニュースと重なった。


etekoハウスでの食事は、桜川のぼろ屋敷の食事と変わりないなあ。
当たり前と言えば、当たり前だなあ。

食材と酒は、スーパーのマルトで調達するよ。

それを自炊で、ちょこっと調理して、ひとりきりで食するよ。

調理は、IHクッキングヒーターだよ。

違いと言えば、etekoハウスの方は、電子レンジがあるということだなあ。

桜川のぼろ屋敷は、電子レンジが壊れちゃったからね。
買い替えるお金もないよ。ショボーン












テレビは何を映したんだろう。
分かんないなあ。
何か気になって、スマホで撮ったはずなんだけどなあ。ショボーン







このどんぶりは、etekoハウスに、1つしかないどんぶりだなあ。
何かの景品なのかなあ。
ちょっと小ぶりだよ。ショボーン