【米国】米国人が北京五輪をTV視聴ボイコット❗️平昌五輪の半減❗️【及川幸久−BREAKING− | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



【米国】米国人が北京五輪をTV視聴ボイコット❗️平昌五輪の半減❗️【及川幸久−BREAKING−】と言う動画を聞きながらの殴り書き。

テレビを見られないetekoだけど、北京五輪が酷いことに生ってると言う情報は、YoutUbe のいろいろな動画で聞こえてくる。

中凶でオリンピックが開催されること自体ダメでしょう。
東京五輪は、一年延期になってしまって無観客で開催になってしまった。

その原因を作ったのは、中凶のシンコロナ(武漢肺炎)なのにね。
東京五輪をまともに開催できなかった。

その賠償を中凶にとらせてもいいのにね。


中凶とうまく付き合って行けば、日本の悪代官、悪商人達は甘い汁を吸い続けられるんだね。

etekoは、そんな仲間には入れなかった落ちこぼれだなあ。
おこぼれが回ってくればいいけど搾取されるだけのアホ日本人の老人になってしまった。

でもいいか。
アホ日本人の方が多数だからね。ショボーン



田尻のマルトの写真が出てきた。
田尻ハウスから、タバコが切れちゃったんで、6号国道を横切って歩いて行った時に撮った写真だなあ。

ここは、いくつかのお店が入ってるショッピングモールになってる。

ここの敷地は、日立市で一番大きな自動車学校があった。
いつの頃に閉鎖になったんだろう。

平成の初めころにはあったような気もする。

日立市には、海岸線に近い所を、6号国道が、南から北に貫いている。
この国道に、そって、3か所の自動車学校があった。

北からは、この田尻の場所にあった、「日立自動車学校」だ。
そして、東京方面に行くと、多賀地区ありに、国道からは少し山側に入る塙山自動車学校。
そこから、2キロも走らないところに大沼の自動車学校がある。

こんな記事を書こうと思ったのは、この前、久慈浜のカインズにウコちゃんのエサを買いに行った時の事だった。

大沼の自動車学校の前を通ったら、2階の建屋の窓を隠すように大弾幕が張られていて、「60年ありがとう。」みたいなことが書いてあった。

敷地内の練習用の車は動いてない。
人気もない。

「60年ありがとう。」と言う意味が、直ぐにピンとこなかった。
その内に、大沼の自動車学校も閉鎖になったのかと思った。
ここは、大学生の時に、長い夏休みの時に、運転免許の教習を受けた自動車学校だよ。

ここも閉鎖になったのかと思った。

結局は、経営が成り立たないってことだなあ。
需要と供給の関係で、免許証を取る人が減ってる事だなあ。

考えてみたら、平成の時代の小泉あたりから、日本の経済がおかしくなってきたなあ。
アメさんの圧力で、タケナカみたいな売国奴がでてきて、派遣法とかがでてきた。
それからの若い人達や一般の労働者達は、まともな賃金をもらえなくなった。

当然、高い車なんか買えない。
車が買えないなら免許証もいらない。
日立市内にある、三つの自動車学校の内の2つが閉鎖になったみたい。
それも、大きな規模の自動車学校から先に消えていった。

なんか、日本経済の沈没を象徴的に表してるなあ。

そんな状況を長い間知らずに生きてたなあ。ショボーン

日立市に限れば、市内に3つあった自動車学校の内の2つが無くなるって凄い事だなあ。
需要が三分の一以下になっちゃったと言う事だからね。

市内に自動車学校が3件あった時代を知ってる人達は、みんな老人になっちゃたんだね。ショボーン




田尻のマルトがある敷地の中央は、駐車場スペースになっている。
それを取り囲むように、シマムラ、モスバーガー、靴屋などのお店の建屋が並んで建っている。
モスバーガーと靴屋だけは、入ったことないなあ。ショボーン







マルトでタバコを買って、etekoハウスに帰宅する時の一枚だなあ。
駐車場のスぺ―スから一段高くなってるところが6号国道だよ。
国道を横切って、ちょっと行ったところにetekoハウスがある。

奥に見える山は、阿武隈山系の南の切れ端だ。
この山の中腹辺りは、常磐高速道路の長いトンネルがいくつも貫いてる。
トンネルが終わるの、隣の福島県のいわき市に出た辺りだ。

日立市は山と太平洋に挟まれた高台の地形に人が住みついてる。
その為、日立市を南から北に走る大きな交通幹線は、海沿いを走る常磐線と山側を走る6号国道しかなかった。

後から、日立市を抜ける常磐高速道路を建設する時に、日立市内を抜ける敷地の確保は不可能だった。
その為、日立市から福島県のいわき市までの常磐高速は、山の中腹をくり抜いた長いトンネルがいくつも連なっている。

そして、山が途切れて、沢なってる部分で長いトンネルは途切れる。
その箇所は、50メートル以上はある橋脚に支えられた高架橋になっている。

常磐高速が開通したのは何時だったろうか。
40年ぐらい前だったろうか。

東京の下宿を引き払って、荷物を自宅まで持ち帰る時に、音楽サークル仲間のT君、K君の二人が手伝ってくれた。

あの頃、K君は、リリィ―の音楽事務所に先輩を頼ってもぐり込んでいた。
約束の日の朝に、K君とT君が、レンターカーのボコボコのキャラバンに乗ってやってきた。

「こんなボコボコの車を貸し出してるところのあるの。」

K君が、「これ事務所の車だよ。借りてきた。」、と答えた。

車の横のドアを開いて、貨物スぺ―スを見ると先に、平べったい大きな荷物が載っていた。

4畳半にある荷物を載せるには、充分なスぺ―スは空いてた。

この荷物は何なのと聞いた。

K君が、「それは演奏で使うハモンドオルガンだよ。」と答える。


そんな事があったのを思い出した。

東京から茨城県の日立市へと向かった。
K君は都内の道路事情なら詳しかったのかもしれないが、地方の道路事情は知らない。
etekoもT君も、ペーパードライバーだった。

カーなーぴなんて影も形もなかった。

三人で道路地図を見ながら、東北道を走って、栃木県の方から、太平洋側に出るのが早いと言う事になった。

あの時、常磐高速は開通したのかなあ。
工事は始まってたと思う。

後で調べてみよう。

そう言えば、日立市内には、常磐高速のICが、三つあるなあ。
日立南、日立中央、日立北だ。

東京方面から来ると、日立南ICを超えると、直ぐに長いトンネルに入る。
そして、トンネルの中を走ってると、日立中央までの表示が出てくる。

日立中央は、日立鉱山の山の所にある。
日立中央ICから下の方を流れる宮田川までのさす道が、有料だったことがあったのを思い出した。

日立中央から北進すると、日立北ICがある。
日立北ICがetekoハウスからは、一番近いなあ。