書こうとしてたブログ記事が消えた。 | eteko屋スタジオ

eteko屋スタジオ

勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

毎日、毎日、こんな事の繰り返しだなあ。

 

別に誰も見てくれないブログの記事だ。

 

etekoとしては、PCに向かって文章を書く練習だと思ってる。

 

まったく、他人との接点が無くなった。

何のしがらみも無くなった。

 

みんな消えてしまった。

 

孤独だ。

 

孤独なんだけど、PCと言うか、コンピュータとの付き合いが、社会人になった時からあった。

 

一人ぼっちなのに、まだ頭は狂ってないみたい。

 

 

まだ、多くの人間を道ずれに死のうと言う考えには至ってない。

 

 

その前に、ひとりで死のうと言う気は、半世紀以上も持っていた。

 

物心ついた頃から、自殺にあこがれていた。

 

物心ついた頃と言うか、幼少の時から、手塚治の漫画に触れていた。

 

親父は日立市の新町で、米屋をやってた。

そこで、お袋と一緒に、米屋をやっていた。

 

米屋の店舗は、日立鉱山の城下町だった。

日立鉱山の坑道は、神峰山の中腹あたりにある。

その鉱山から、日本鉱業と言う会社が立ち上がった。

 

それから、すこしたって、日立製作所と言う、世界的にグローバルになった起業が生まれた。

 

新町は、その日立鉱山から、太平洋に向かって流れる宮田川に沿って、1キロもない道路の両側に広がった商店街だった。

 

日立鉱山は、平安、鎌倉時代から、開発された銅山だった。

 

この辺の地形は、東北から茨城県の県北地帯までは、日本列島の背骨のような阿武隈山系が、太平洋に突っ込むような地形になっている。

 

山が海に突っ込んでいる。

山のすそ野が緩やかに、海に沈みこんでいる地形だ。

その為、海岸線は、10メートルから30メートルくらいの断崖になっている。

 

ただ、太平洋に迫ってる山脈から流れる河川は、太平洋に出る河口辺りでは、扇状地を形成して、平らな地形を形成してる。

 

この地形は、東北地方の青森、岩手、宮城、福島と茨城県の県北地域ので変わらない。

北の方の岩手県では、寒冷のせいもあり、この地形がせ扇状地体ではなく、リアス海岸になっている。

 

そして、宮城県になると、大きな扇状地の宮城平野が広がる。

 

細長い日本列島の背骨のような山脈から、幾筋もの短い河川が、太平洋に流れ込んでいた。

 

この河川には、山から砂金が流れ込んでいた。

河川には、山から砂金が流れ込んでいた。

 

これは、当たり前の事なのだ。

日本は、地球の境目に取り残された島だった。

 

数多くの地球のプレートの境目に乗ってる陸地と言うか島だった。

 

その為に、気候は温暖だったが、常に地震が発生していた。

その為に住み着いた人間達は、数えきれない地震と言う天災に遭遇し続けてきた。