Classic Rock だってさあ。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



Classic Rock だって言うタイトルが付いてるけど、ほとんどの曲は初めて聞く曲ばかりだなあ。

ミュージシャンの名前は知ってるけど、その音源を真剣に聞いたことないからだね。

etekoの音楽を聞く耳は、1980年代で止まってるなあ。

その時のetekoは、社会人になった時とダブるなあ。

働き始めたので、安い給料でも少しはよゆうがあったなあ。
学生時代に聞きたかった音源のレコードやCDを買い始めた。

ウエス・モンゴメリのLPを地元のレコード店で買い始めたなあ。

そうしてる内に、レコードは、CDなるものに変身した。
一番最初に購入したCDは、サイモンとガーファンクルのヒット集だったなあ。
その為に、CDプレヤーも買ったなあ。

CDプレヤーのバカ高いのには、驚いたなあ。

10万円以上した記憶があるなあ。
あれは、多賀のケーズ電気で購入した。

と言う事は、1980年代には、日立市の多賀地区に、ケーズ電気が出店してたんだ。びっくり

ケーズデンキが出店してる敷地は、元々は日立製作所の国分工場の敷地じゃあなかったのかなあ。

ここには、もともと日立製作所の「供給」と呼ばれたスーパーみたいなものが建ってたよ。

この「供給」と呼ばれるお店は、日立製作所の社員と家族に食料から日常用品まで安く売ってたよ。
これは、戦前から、日立鉱山が始めた従業員やその家族の福利厚生の為に始めた施設だよ。

それを日立製作所も大きくなってから取り入れたよ。
もちろん商品が安く売れるのは、会社の補助金が出てたからだろうね。

従業員も日立製作所の社員だったのかなあ。
幹部辺りは、天下りとか、余剰人員を回してたのかもしれないなあ。

鷹地区の「供給」が無くなってから、しばらくすると、日立ライフとか言う名前の、日立製作所系列が目に付くようになった。

ここは、宅地開発とか家を建売したりしてた。


そんな、「供給所」は、1980年代には、消えていた。

そう言えば、諏訪のスーパーのマルトが建ってる敷地も、前は、「供給所」があった場所だよ。

そんな関係で、日立市は、戦前から、県庁のある水戸市よりも景気が良かったし、消費も大きかったのに、大型店舗の出店は、皆無だったよ。

大型店舗やコンビニ、チェーン店の出店は、水戸どまりだったなあ。

それが、「供給」が無くなったとたんに、いろいろと大資本系のお店とかチェーン店の出店が始まったなあ。

そう言えば、日立市内の小さな電気屋さんは、みんな日立チェンストールとかの契約店だった。
この制度は全国的だったなのかなあ。

日立製作所関連の従業員、家族の証拠を示せば、商品の割引が付いた。

日立総合病院も、日立製作所の従業員や家族であれば優遇された時代があったなあ。ショボーン



まだまだ、2週間前の写真をアップ出来てないなあ。
再び、田尻の別宅に行かなければと思ってるけど、今週は無理だなあ。
来週だなあ。



eteko風サラダを作って食してたんだなあ。
トッピングするのがニンジンだけになっちゃったので、ゆで卵をのせて食してる。

今日は、桜川のボロ屋敷では、eteko風みそ汁にした。
なんか寒くなってきて、冷たいサラダは朝からは国なってきた。
みそ汁の具は、キャベツとタマネギ、そして、eteko農園に生えてたノビルの葉っぱ。
そこに、卵を一個入れて茹でた。

味噌は、一年位前に買ったパックの残り物を使い切ろうと思ってる。
味噌は、キュウリを生かじりする時に買ったものだけど、今年の夏は不作で、あんまり出番がなかった。

それと、最近は、eteko風サラダには、夏ミカンを収穫して、トッピングして食してる。
まだ、青々して、収穫する時期じゃないんだけど。
一番に黄色味がかった、夏ミカンを収穫して食してみた。
いつも、2、3個づつ収穫して食してる。

青みが取れてないので、食すのはどうかなあと思って口にしたら、夏ミカンだった。
美味かったなあ。

一日に、一個で足りるよ。

今日の朝は、10個目の夏ミカンを収穫した。 

7個めの夏ミカンをカットした。

在庫は、2個。                    



前回、田尻の別宅に行った目的の一つに、エレキギターも弾いてみよう、キィーボードの練習もしてみようと言うのがあったんだけど出来なかった。
ギターのお稽古は、D-28 を弾いただけだよ。

クラシックギターも弾けなかったなあ。

自由な時間はたっぷりあるのになあ。

何もできないなあ。ショボーン





定番のカレーを作った時の写真だなあ。
お肉は、もも肉を使うのが定番に生ってるなあ。
このお肉をつかって、2食分のカレーを作る。

お米を炊いて、カレーを食す。
二日間カレーだよ。ショボーン














田尻の家にいる時は。毎日、仏壇に線香をあげる。
ここには、父方の祖父母と父親、父親の弟、ナカちゃんが入ってる。

線香をあげるたびに、祖父母が生前の側に、子供のetekoがいた風景を思い出す。
祖父母は、日立市の弁天町で米屋をやってた。
何時からやってたんだろう。
戦前からなのか、戦後なのかはよく分からない。ショボーン

祖母か゛先に亡くなった。
祖母は、病気は無くなるまでほとんどしなかったと聞いている。
元気で気性のは消しい人だったみたい。
それに比べて、祖父は生まれつきひ弱で小柄な男だった。

祖母は気性は激しいが、初孫のetekoに対しては、いつも優しかった。
ただ、祖母は、生涯に10人近くの子供を産んでるみたいだ。

10人近くとはっきりいえないのは、死産だった子供もいるのかもしれない。
一様、祖母が日立市に移り住んでから生んだ子供達とは、出会ってるけど、深いつながりはあまりなかった。

etekoにとっては、父方の叔父叔母と言う事になるのだが、ほとんど付き合いはない。

eteko的にはつきあいがないのだが、etekoの親の代までは、いろいろとかかありがあった。

それが、今のetekoに暗い影を落としてるのかもしれない。





田尻の家にいる時は、草むしりも、1回くらいしかできなかったなあ。
引きこもりの暮らしだなあ。
シンコロナ(武漢肺炎) のせいで引きこもってるわけでもないなあ。
シンコロナが流行る前からだなあ。
でも、こんな生活に菊者がかかったのは、親父が亡くなった頃からだなあ。

と言う事は、20年くらい前からだなあ。

その時には、社会人になって長く勤めてた会社を辞めた。

会社を自主リストラした。

考えてみたら、その元凶は、中凶にあるんじゃないのかなあ。

結局は、日本画アメリカの属国だから何じゃあねぇのかなあ。ムキー










田尻の家ではテレビが見られるんだけど、ほとんど YouTube だけだなあ。
これで受信料とか取りに来たら戦うほかないなあ。
NHKをぶっ潰す。

あの政党はおかしいみたいだしなあ。

テレビ改革党にしておこう。ムキー

















今回、田尻の家にいた時に、真新しい事をしたと言えばこれだけだなあ。
今まで、長い間、花を生けてなかった花瓶に花を生けた。
ナカちゃんが植えた菊の花を摘んで、高そうな?花瓶に花を活けてやった。

どのくらい、花を生けてなかったんだろう。

前回、花を生けた時には、花瓶の中には、水がたっぷり入ってたはずなのに、菊の花を生けようと、花瓶を確認したら、中に残ってる水が、一滴もなかった。

みんな蒸発しちゃったみたい。

菊の花を生ける時に、水を入れてやった。ショボーン