東へ西へeteko5335-2.mpg の動画だよ。
この動画は、10年以上前にYouTube にアップした動画だよ。
この頃、etekoは社会人になって長く勤めてた会社を自主リストラしたよ。
大学卒業してから入った会社は、日立製作所の系列の「日立エンジニアリング」と言う会社だったよ。
日立製作所の子会社みたいなとこで働いてたよ。
「日立ンジニアリング」で働いていたと言っても、派遣社員の走りみたいな社員だったよ。
小泉や竹中が出てくる前だよ。
etekoは、1980年に大学を卒業して、社会人になることになったよ。
東京の三流大学にいたetekoは遊び呆けてたんで、4年生になっても何の就職活動もできなかったよ。
と言うか、就職活動しても、結果は見えてたよ。
20代までの学生時代で、自分が世の中にはまりきらない人間なのか自覚してた。
受験体制の中で、etekoが落ちこぼれて、この国の体制からは、酷くはじかれてると言うのを自覚してたよ。
そのetekoが大学を卒業したからと言って、直ぐに社会人として飛び立てないのも自覚してた。
都内では就職先がなかった。
そんなetekoの地元は、日立製作所の発祥の地、日立市だった。
親がコネと言うか、日立製作所系列の会社に就職できるようにしてくれた。
でも、コネで入れたというわけでもないのは、今だと分かるよ。
日立製作所は、地元では安月給で知られていた。
日本的に有名な企業になってても、社員の給料は安かったみたい。
そんな会社では、会社で部長とか工場ちょうちょぐらいまで出世した社員が、定年後に、日立製作所の子会社、孫会社、協力会社の社長になるよ。
協力会社と言うのが、曲者だよ。
これは、今でいう派遣会社だなあ。
社員を募集して、協力会社の社員として、日立製作所の工場や会社に送り込むよ。
そんな居力会社の一つに、etekoはひっかかったよ。
入社試験とか、面接はあるけど、ほとんどの人は、入社できたみたい。
入社すると、自社で、ひと月ぐらいの研修を受けて、日立製作所のいろいろな工場に派遣されるよ。
強力会社では、若い人ならだれでも入社できるみたい。
入社試験で落とされたと言う話しは聞かないよ。
ただ、いろいろな工場とか職場に配属された時に、そこでついていけないとか、給料が安いとかで、半分くらいは脱落していたなあ。
日立製作所の工場とか会社に、直接入社の人員は、所員と呼ばれてた。
給料も、協力会社から派遣された社員よりもいいし、いろいろな面で優遇されていた。
それなのに、会社内でやってる仕事は、同じか、派遣社員の方がハードだよ。
そんな待遇に、協力会社の人間の方が、止めてく人が多かったなあ。
そんな職場に配属されたetekoは、最初から、長く勤める気はなかった。
ただ、サラリーマンと言うのも経験してるのもいいかもしれないと思ってた。
半年も、会社員とかサラリーマンはつづつかないと思ってた。
それが、いろいろあって、大型CAD
担当することになってしまった。
そのころは、ウィンドーズも、インターネットもまだまだの時代だよ。
大型CADは、モニター、タブレット、キィーボードとかがついてて、2台一組で5000万近くしたよ。
これで、工場で作る重電機器の図面を書くことになったよ。
etekoが、日立エンジニアリングの会社に派遣された1980年だいは、ちょうど、アナログからディジタルに変わる過渡期だったよ。
アナログの時代は、図面も仕様書も手書きだったよ。
日立エンジニアの中には、このアナログの文章を製本する、日立印刷と言う、印刷会社も抱えていた。
日立製作所の重電部門は、公共のインフラ関係に製品を納入してたよ。
ここには、お役所が絡んでくるので、製品の図面や仕様書などの文書の枚数は、半端ないよ。
出荷する製品の文書は、部署の上の人の、承認とかいろいろなチェックを受けて、元本は図面庫に納入されるよ。
納入するにも、いろいろな人間のチェックを受ける。
兎に角、一つの製品を設計するのに、考えられないような労力を要するよ。
日立製作所で大型CADが導入されたのは、最初は、大みか工場からだったのかなあ。
ここは、原子力発電所のいろいろな機器を納入している。
その図面、文書のディジタルが急務だった。
もともとはアメリカのGEから、大型CADが日立製作所に入ってきたと聞く。
そんな、大型CADに社会人になり建ててのetekoはかかわることになってしまった。
この為に、社会人になるまでやってた音楽活動は、永い眠りについてしまった。
ギターは弾く者じゃなくて、ケースに眠るものとなってしまった。
とにかく、仕事がめちゃめちゃ忙しかった。
週休二日なのに、月、火、水、木、金、土と出勤してた。
月、80時間以上の残業者のブラックリストの常連になってたなあ。
そんなetekoが、45歳の時だったか、会社を自主リストラした。
この時、日立製作所では、景気が悪くなって、一番最初の早期退職者を募った。
この時の、条件は、50歳以上の社員が対象だった。
etekoは、この流れに乗って、日立製作所関連の会社を自主リストラした。
そして、暇になったetekoは、大学時代に作った自作のオリジナル曲を人前で歌いたいと思ったんだ。
それも、やがて実現したよ。
etekoが人前で歌いだしたら、3.11の大震災がやって来た。
ここの動画で弾いてるオベーションと言うギターも、その時に被災しちゃった。
3.11の震災でのetekoの一番の被災は、このオーベーションだなあ。
部屋に置いてたオベーションの表面板に、高い所に置いておいたビデオラックが直撃して、表面板の三分の一の所から割れちゃった。
あの時は、一番落ち込んだなあ。
修理も考えたけど、10年以上も何もできずに時が過ぎたよ。