田村秀男氏対談『ニクソン・ショックから50年、日米中の金融はこう変化した!』 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



田村秀男氏対談『ニクソン・ショックから50年、日米中の金融はこう変化した!』を聞きながらの殴り書き。

この動画は2度聞きしてる。
何回も聞くかもしれない。

この動画を聞ききながらいろいろ妄想した。
日本の歴史教育と言うものは、現在から遡るのが正解ではないのか。
歴史を知る前に現状の日本を正確に知るべきなのだ。

その前に、日本人としてのDNAが覚醒してないといけない。

大東亜戦争の敗戦からアメリカの属国になった日本。
日本で生まれた日本人はアメリカの奴隷に教育された。

お花畑の日本人洗脳。

日本国憲法を唱えれば、特亜三国、ロシアには侵略されない。

敗戦で日本はリセットされた。
しかし、日本人は日本人だった。
地政学的に日本では日本で生まれた人間が住んで暮らしてきた。

ポルトガル・スペインから始まった大航海時代から地球上の陸地の植民地化が始まった。

軍事力、兵器の格差で、地球の陸地はすべてアングロ・サクソンの白人で支配できた。

ローマ教皇は、地球を半分に切って、スペインとローマで支配することにお墨付きを与える。

テクノロジーの発達は、イギリスに産業革命を起こす。

交易で国力を増す。

軍事力で国益をます。

富国強兵。

天皇の子供達。

戦争を知らない子供達。





12日に田尻の家に着くと、ブーさんは、車を降りずに帰っていった。
供え物のホウヅキがないのを気にしてた。
そして、麦の馬がないのも気にしてた。

生花を買いに行ったスーパーで、探したけど、売り切れたと言う。

父方の親戚が田尻の家に来た時に、去年の麦の馬が置いてあったら、何を言われるかと心配してた。
明日、仏壇のお供え物を探して、また来ると言って帰って行った。









13日に目覚めると、左手の肘辺りに招かざる客が来てた。
寝違えたと思ったけど、あいつの可能性もあるなあ。
ずーと暑くて、家に引きこもってたからなあ。
体重も増えたままだった。
あいつが来てもおかしくないと思ってた。

起きてから、2時間も経つと、左手に力が入らなくなってるのに気づく。
そして、肘が曲がらなくなってる。
無理して曲げようとすると左手の肘の筋辺りに痛みが走る。

あいつが来たあー。

痛風モドキの腱鞘炎だ。

左肘の筋辺りから炎症が始まってる。ショボーン





13日の午前中に不自由な左手を使いながら、納戸から御仏前の提灯を出して、仏壇のおいてある部屋につるした。
個々の部屋だけが、畳が敷いてある日本間になっている。
ナカちゃんの部屋だった。

この部屋はナカちゃんが脳梗塞で緊急入院して空き部屋になった時には、畳が見えないくらいに物が散乱していた。
この部屋は6畳で、ベットと衣装ケース、ファンシー・ケースだけなのだが、畳の上には、ベットの周りからちょと離れた場所にいろいろなものが置かれていた。
幸い、ダイニングとキッチは隣の部屋で取ってたので、腐るものは落ちてなかった。

ナカちゃんが病院に入院していた3年3か月の間に、何回、田尻の家に訪れただろう。
その間に、少しずつ部屋を片付けた。
その時には、庭の除草作業と洗濯もした。
考えてみたら、それまで田尻の家に泊まるということはなかった。

プリちゃんが亡くなってからだなあ。えーん



お昼近くに、ダイニングルームの戸を開けて、ブーさんが顔をだす。
仏壇にお供え物を供えて線香をあげたという。
etekoは、ダイニングに顔出して休んでいけばと言う。

直ぐ帰ると言う。

お供え物にオハギがあるから、それは長く置けないからね。
と言って、ダイニングの戸を閉める。

etekoの顔を一瞬たりとも見たくないという空気が伝わってきた。

締めていったダイニングの戸を開いて、仏壇のある部屋を見ると、御仏前の提灯の明かりだけの薄暗い部屋には、ブーさんの姿はなかった。

玄関のドアのカギを見ると、上と下のカギが閉まってた。
etekoが家にいる時は、上のカギしかしめない。

ブーさんが外に出て、玄関のカギを占めていったのが分かる。


ブーさんが田尻の家に入ったのは、この日だけだった。
それも、5分もいなかったんじゃあないだうか。

これが、兄弟なんだろうか。
人間んの関係ってこんなものなんだろうか。
こんな関係の中で育ってきたから、こんな人間になってしまったのだろう。ショボーン



そぃで