etekoチャンネル その8 だす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



🐯さんはどうなるのかなあ。?

しかしなあ、etekoが生きてる間に、こんな世界を見られるとは思わなかったなあ。

ただ、亡くなった両親は、大東亜戦争のまっただなかで青春を生きて来たから、大きな時代の大転換点を生き抜いてきたのは間違いない。

etekoの両親は終戦の後に日立市で出会って結婚した。
そして、etekoが生まれた。

戦時中は、大本営の言論統制で、戦争の状況も分からなかったんだろう。ラジオ、新聞から流れる大本営発表は、日本軍の華々しい勝利の情報だけだ。

「鬼畜米英」で、日本は、戦争で大勝利していると聞かされるだけだった。

日本は、常に勝ち戦をしてると刷り込まれていた。

とんな日本の庶民達も、周りの状況を見てれば分かる。
供給物資は無くなり、赤紙一枚で戦場に駆り出されるようになった。

終戦直後には、マッカサーの連合軍が日本を占領した。
日本軍がいかに戦っていたかと言う歴史の真実は、勝者のアメリカによって、闇に葬られた。




年末年始と暴飲暴食の続いたetekoに、またあいつがやってきてしまった。
3日前に酒が切れた。
買い出しに行くの億劫だった。
寒すぎる。
断酒して、プチ断食をしようと思った。
そしら、夜中に左手首に違和感。
腱鞘炎のまいぷれかなあ。

夏ミカンの皮を着る時に、まな板に夏ミカンを抑えていた左手首をちょっとひねったと言うかんかくがあった。
次の日、目が覚めると、案の定、粗朶李手首に痛みが走ってる。
久しぶりの「痛風君」の登場だなあ。

去年のあの時は、右手だったけど、同じような症状が左手首に出てる。
あの時は、日立医療センターに行って、腱鞘炎と診断された。
その時に貰った薬が、まだ残ってる。

あの時は、カロナール錠300、ノイトロビン錠、レバミピド錠をもらった。
頓服剤と胃荒れを防ぐ薬だ。
その薬を14日分貰った。
まだ半分は残ってる。ショボーン

それにしても、一人で暮らしてると、エンゲル係数だけしかないなあ。
僅かな年金は、酒、たばこ、食材に回ってる。
タバコはエンゲル係数の品目じゃないのかなあ。

下の写真は、田尻の家にいた時に、おひとりさま正月気分をあじわおうと奮発して買った総菜だけど、結局、一人で食すことになってしまった。

もちろん、4日がかりで食したけどね。

田尻の家にいた4日間は、高萩から貰って来たお餅とネギには手つかずだった。

桜川のボロ屋敷に帰ってからは、夕食は、ずーと、お雑煮だったなあ。
一週間も雑煮だった。
そんでもって、酒が切れたんた゛。
そんなもんで、お米を炊いて、食し始めたら、手首が痛くなってきたんだなあ。
ショボーン