虎ノ門のニュースを聞きながらブログのようなものを書こうと思ってたら間が空いちゃった。
参っただす。
この間、etekokの右手にあの悪魔が顔を出した。
その経過を振り返ってみると、原因はシナ共産だなあ。
シンコロナ((武漢肺炎)のパンデミックでいろいろな事が見えてきた。
今の日本がこんな事になっちゃてるのは、大東亜戦争の敗戦から始まってるんだなあ。
それ以前からなんだけど、etekoが生きて来た昭和。平成、令和に関しては、大東亜戦争の敗戦からだなあ。
何にも知らずに生きてた時はよかった。
テレビも見られれなくなって、ネットでYouTubeの動画で戦後の真実を知るうちに、そのもやもやは令和に入って沸点にたっしてるなあ。
etekoに関しての10月は、そのもやもやがヤケ食いに走ってしまった。
引きこもり生活のetekoはメタボ一直線だった。
ある日、風呂上りに体重計に載ったら、80キロ越えの危険水域を超えていた。
やばいよ、やばいよ。
しばらくの間、80キロを越したことなかったのに。
それから禁酒生活に入った。
土曜には、身体を動かそうと除草作業をした。
日曜日には、eteko農園で種から育ったカブの苗を広い土地に30株ほど移植した。
これが悪かった。
小さなシャベルで固くなってる土に深めの小さな穴を掘り続けた。
次の日に目が覚めると、右手の親指の筋辺りに腱鞘炎のような違和感。
ナカちゃんが昔に貰ってたシップと塗り薬で対処した。
この薬は、ナカちゃんが生前に通院していた病院から大量に貰っていたのが残っていた。
それも、5年前以前のしろものだ。
使用期限が2015年とか書いてある。
効き目はあるのかなあ。
そんな薬もこれで使い切ってしまうなあ。
まだ発見してないのが眠ってるかも。
次の日には、右手の親指の炎症は、筋を渡って手首の方まできてた。
これって。「痛風君」じゃあねぇの。
etekoの見立ては、間違いなかった。
日にしに、右手の痛みは手首から腕まで広がっていた。
左指か゛動かせなくなった。
ピックを持てない。
ギターも弾けない。
包丁も握れない。
自転車にものれない。
食料の買い出しにもいけない。
目覚める時には左手の痛みが激しかった。
寝てる間に炎症がピークにたっするのか。?
病院に行って、頓服剤を貰おうと思った。
そう思ってた時に、くっ付けてもらった歯の詰め物がまた取れた。
前回の2回は、自転車のeteko号で行ったんだなあ。
多賀クリニックには、手が痛くなる前だった。
多賀クリニックは予約票を見ると正式には、「株式会社 日立製作所 日立総合付属 多賀クリニック」と言うみたい。
昔は総合病院だったんだけど、今は日立総合病院の方に吸収されちゃって、内科、小児科、歯科しか残ってないなあ。
てぇいうか、3人の医師しか残ってない事だなあ。
残ってる理由は、自分の家からは、多賀病院の方が近いと言う理由だけかなあ。



多賀病院の敷地の前は、245号国道が走ってる。
海側は断崖になって、その先は太平洋だ。
245号線を挟んで山側は日立製作所の国分工場の敷地だ。
設計棟の建屋が見渡せれる。
以前は、敷地の境に、日立電鉄の電車のレールが一本走ってて、高い塀が目ぐされていた。


eteko号に乗って、多賀クリニックまで行ったよ。
3回目は手が痛くて自転車にのれずで、行きはタクシーを頼んだ。
料金は1100円なりだった。
1100円の距離って何キロ何だろう。
帰りは歩き。
30分以上はかかったなあ。
桜川のボロ屋敷の近くに来た頃には、10歩も進むと足が止まった。
そこで立ち止まり背伸びした。


自転車に乗れずに食料の買い出しにも行けなかった。
最初にコーヒーに入れる角砂糖が切れた。
台所に放置してあった砂糖を見つけ出しておぎなった。
マヨーネーズもきれた。


タマネギの在庫はカインズに行った時のがまだ残ってる。

食材在庫滅省の中の晩餐は、ヤケ食いしてた時期に買ってた青いドンベーだった。
この時、カインズで買った卵は切れてた。
卵なしのカップ麺。

eteko農園での久々の農作業?が、etekoをこんな悲惨な目に合わせている。
でも、それだけでは「痛風君」はやってこないよ。
シンコロナ(武漢肺炎)のもやもやとアメリカの大統領のもやもやのストレスが重なったんだなあ。
根っこは、シナ共産だよ。
キンペイだよ。





