ラジオ屋 ( 創作ノート その37 ) | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



こんな動画を見見ながら、etekoの小説家修行のようなものをしてみる。


ラジオ屋 ( 創作ノート その37 )

私が一さんをたよって、日立市に出てきたのはどういう訳だったんだろう。

あの時の自分の決心が良かったのか、悪かったのかは分からない。

とにかく、終戦になって自分は横須賀から実家の常陸太田市に帰ってきた。

あの時は本当に自分は真っ白だった。

腑抜けだった。

8月15日の天皇のラジオ放送を聞く前から、日本の敗戦は知っていた。

私は茨城の片田舎から、東京の工大に進学していた。
その年に学徒出陣で、横須賀の海軍に通信兵として配属された。

その時に私は初めて知った。

日本の海軍は、真珠湾攻撃で大きな戦績を上げたが、その後の海戦で、日本の主力の空母やゼロ戦はみんな沈められていたことを、そんな時に海軍の通信兵として配属された。

大東亜戦争の戦況は、大本営よりも、早く知りえる立場にあった。
もちろん、上司からは、本当の事は外に漏らすなと言われていた。

漏らせば、国賊として憲兵にしょっ引かれる。
そして、蟹工船を書いた赤の作家のように獄中でやられるぞと言われた。

その言葉は、真実だっだろう

戦争時に日本の不利な正確な戦争状況を流したら、すぐに憲兵に引っ張られるだろう。

国賊と言う言葉で遣られる。

そんな思いもあった。

でも、私が一番に恐れていたのは、自分の親や兄弟、親族の事だった。

日本国の為に、海軍の軍人となった息子が国賊として弾劾されたら、両親もこの国では生きていけない。
私一人が死ぬことには何の恐れもなかった。

ただ、両親、親族たちまでも、国賊の非難を浴びて生きていく姿が忍びなかった。


無線で毎日、受信する情報は、日本軍の敗北ばかりだった。

そして、ついに神風特攻の自爆攻撃の作戦が実行されて行った。
大東亜戦争の初戦で、日本海軍は、優勝なゼロ戦の兵士と空母を失っていた。

今から80年前に日本軍海軍は空母と艦載機のゼロ戦持っていた。
この軍事力の機器は世界最先端だった。

それ以前までの海戦は、軍艦と軍艦が大砲を打ち合って、相手感染に打撃を与えると言う戦いだった。
このために戦艦は大型して、大きな大砲を積むようになった。

日本は極東の島国だった。
この地理的な優位性が、アングロサクソンの世界の植民地政策の最後になった。
地球上で最後に侵略されることになった。

あの時は、ポルトガル、スペインの大航海時代だった。
日本にやっとのことでたどり着いたポルトガルは、に種子島に鉄砲を伝来したよ。

火縄銃の鉄砲2丁が、法外な金と交換されたよ。
ポルトガル人はおもったよね。

おおー、ここはまさしく黄金の国、ジパングだとね。

絶対に侵略して植民地にしないといけない。


それからは、ポルトガルは、セオリーに習って、キリスト教の宣教師を送り込むよ。
キリスト教の宣教師は、日本を侵略するための工作員だ。

工作員の宣教師が日本に来て驚いたよ。
日本に住んでいる住民は、恐ろしいほどに凄いと分かったよ。

黄色猿にも関わらず、みんな上の者からしもじもまで文字が読めるよ。

ポルトガルの宣教師はおもったよ。

日本は、西洋よりも進んでるってね。

そして、もっと驚いたことに、この時は戦国時代で下克上の世の中だった。
日本の各地域にいろいろな戦国大名が覇権を争っていたよ。

ちょっと前にに日本に持ち込んだ火縄銃は、日本では量産体制に入ってる。

角戦国武将の手元に行きわたっている。

それは、自国のポルトガル軍隊の比ではなかったよ。

そんなポルトガルの軍隊を自国から呼び寄せても、日本の戦国大名の一国にも勝てる見込みはなかった。

そんな訳で、日本の植民地化は、大東亜戦争が終わるまで止まっていた。

あれから、400年くらいは経っていたのか。

その間、アフリカ、アジア、アメリカには、白人達が勝手に線を引いて国境なるものが作られた。

そこに元からいた原住民は虐殺されたり奴隷にされた。


そんな人種祖別の歴史に、真っ向から戦いを挑んだのは、極東の黄色い猿だった。

猿達と書けないのは、白人達と戦ったのは、日本だけだったからだ。