etekoのギターのお稽古 その20 だす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



一番最近のetekokのギターのお稽古風景です。

久しぶりに、マーチンのガットギターを弾いてます。

弾いてる曲は、暗譜してる曲なんだけど、手と指が上手く動かないよ。
練習量が足りないし、加齢も影響してるのかなあ。

それに一番の問題は、右指の爪のお手入れを何もしてないってことだよ。
人差し指なんか、少し長くなってきたと思ったら、直ぐに割れちゃうよ。

アコースティックギターのピック弾きで、人差し指の爪が当たるみたいで、少し伸びたら割れちゃうよ。

人前で演奏する予定はないから、グタグタの演奏でも、何も気にならないけどね。

こんな事をやってると、時間の経つのが早いなあ。

家の片づけや断捨離をしないといけないのに、何も進まないなあ。滝汗


それに私生活の方は、奥谷もモードから抜け出られないよ。
令和元年のetekoは、お悔みモードにどっぷりだなあ。えーん


11月2日は、親父の弟の、一年忌だった。
親父の兄弟は、7人いるのかなあ。
親父の実家は、福島の会津だよ。

でも、親父の両親、etekoにとっては、祖父母なんだけどね。
祖父母は若い頃に、夫婦でブラジルに移住して一旗揚げようと、神戸まで行ったみたい。
でも、最終審査で、祖父がひかかって、ブラジルには移住できなかったみたい。
この時に、実家の会津で、授かった親父と姉さんは、親戚にあづけて向かったみたい。

渡航費用に実家の田畑は、利息三文でうっばらちゃったみたい。

祖父母は、実家の会津には、戻れず、その頃、鉱山とか日立製作所で景気の良かった、茨城県の日立市まで戻ってきて、生活を始めたみたい。

そこで、会津に残した親父の姉さんの後に、5人の子供をもうけたみたい。

だから、日立市で生まれた親父の5人の兄弟は、年が10くらい離れてるよ。

日立市で生まれた親父の兄弟は、女の子が3人、男が2人だよ。

男の子の二人は、双子だった。

親父が亡くなって、15年は経ってる。
若い頃からの不摂生が祟ったのか、72歳くらいで亡くなった頃になってる。

享年71と言う事かなあ。

親父の葬儀には、年の離れた双子の弟達も参列した。
この二人の弟は、顔も身体もそっくりなのだが、性格が真逆だった。

祖父母の性格を、別々に受け継いでいた。

祖父はおとなしい性格で、祖母は、激しい性格だった。
親父は、祖母の性格を受け継いでいた。

この祖父母の性格の違いは、双子の弟達にも、はっきりと、別々に受け継がれていた。
Y叔父さんが、上で、祖父の性格を受け継いだ。
T叔父さんは、下で、祖母の性格を受け継いでいた。

そう言えば、後の女の子の3人の妹の性格も違うなあ。
一番上は、祖母の性格で。2番目は祖父、3番目は祖母だ。

祖母の性格を継いだ子供達は、火病体質だ。
etekoは、疑ってるんだけどね。
祖母は、朝鮮人じゃあなかったのかってね。

祖父が会津にいた頃に、結婚した人は、日本人だったんじゃないのかなあ。
会津で、早死にした親父の姉は、日本人の女の顔してるよ。

親父から、朝鮮系の顔になってる。
祖母は、朝鮮人で、後妻に入ったのかと妄想する。

本当に、親父の下の兄弟の顔つきは、朝鮮系だよ。

そんな一族たちが、この日本では、幸せな一生を終えないね。


11月2日は、Y叔父さんの一年忌だった。
Y叔父さんは、一人者だった。

etekoと同じだよ。

etekoの親父が長男なんだけど、早くから実家の日立の弁天町の米屋を離れたみたい。
祖父母から独立したみたい。

そんな訳で、日立の弁天町の米屋を継いだのは、Y叔父さんになった。
戦後の米屋さんは、食管法とかあって、金回りが良かったよ。

祖父母も借地にボロ屋で、米屋をやってたけど、金回りは良かったみたい。

etekoが中学生の頃には、隣の倉庫を二階建ての鉄筋造りの家にしたなあ。
祖父は、etekoに今度建てる倉庫の屋上には、プールを作るとか言ってたなあ。

結局、出来たら、屋上は、祖父の盆栽置き場になっちゃたけどね。

この倉庫が立て替えられる前に、祖父の所に、金に困った人が、土地を買ってくれと言ってきた。
祖父は、その土地を現金で買い取ったよ。

その土地は、今の日立市の運動公園の南側の斜面だったよ。
そこに、祖父は、自転車で通って、家庭菜園に毛の生えたような畑を作ってたよ。
etekoは、毎週のように、そこに連れていかれたよ。

そこには、ブドウの木が植えられた一角があった。
手作りの小さな棚があった。
その下にござが敷いてあった。

etekoは。そこに座らされて、持ってきた🍙とか食べながら、祖父の昔話を聞かされた。

祖父母は、会津で暮らしてたけど、若い時に、ブラジルに移住して一旗揚げようと思った。
その時には、etekoの親父と姉さんの幼い子供がいたけど、親戚に預けて、会津を出たんだ。
ブラジルに行ってれば、一旗あげられるって言う確信はあったんだけどなあ。

会津の田舎で、米作ったり、してても先がないと思ってた。

若かったし、元気だったんだなあ。

ブラジルに移住するには、いろんな審査を受けて、出航は、神戸からだった。
ブラジルに移住できると言う事で、神戸までいったよ。
そしたら、最終審査でひかかっちゃて行けなくなっちゃたよ。

視力とか体力でひかかったんだなあ。

地元の会津に帰りたかったけど、金はないよ。
取りあえずは、その頃、けいきのよかった日立市まで帰ってきた。

そこで、職を探して、日立市に居ついたよ。

あれは、終戦前だったなあ。

波乱万丈の人生だったなあ。

でも今は、こんなところに畑を作ったりして、楽しんでるわ。