海外に住んでる日本人の方が、今の日本を正しく俯瞰できるんだね。
etekoは、日本で生まれて、日本の茨城県の日立市で死んでゆくのかなあ。
でもねぇ、etekoは幸い、40年前からコンピュータと付き合ってきたよ。
そんなもんで、インターネットと付き合い始めたのも旧いよ。
何しろ、手書きの図面とか仕様書だけだった頃の日立製作所子会社の設計部門で、ワープロ、パソコン<
CADを導入したよ。
その頃は、OA担当者みたいな地位だったよ。
日立製作所の子会社みたいな会社に潜り込んだけど、設計部隊だけでも、100人近くはいたんじゃないかなあ。
そんなところで、etekoは、ワープロ、PC、CADの担当者になっちゃったよ。
新入社員で、潜り込んだ会社では、毎週の部課長会議に呼ばれる始末だよ。
etekoが潜り込んだ工場は、公共機関に、製品を売りつける工場だったよ。
顧客は、電力会社、利水の公共機関、JRの鉄道施設、高速道路なんかに収める商品を作って納入してたよ。
その製品は、遠方監視制御装置って言うんだけどね。
この製品は、人のいないところに、センサーを設置して、そのデータで、電力量や水量を調節する機械だよ。
今、騒がれてる関電の電力所にも、日立製作所のロゴの入った遠方監視装置を、何十億くらい?>
何百置くくらいは納入したよ。
公共機関に、製品を納入するのは、かなりめんどくさいよ。
製品の図面、仕様書なんかは、何か月もかけて、文書を作成するよ。
その枚数は、膨大だよ。
そして、これらの図面には、ミスはダメなんだよね。
親会社の大みか工場の、親部門の、承認や認証のハンコを貰わないといけないよ。
何万枚もある一枚一枚の文書に、ハンコを貰わないといけないよ。
そんな文書が、認証されると、大みか工場の図面庫に入庫しないといけないよ。
それらの文書は、製品を入庫する公共機関?に送られて、一階の工場で、製品の製造が始まるよ。
実際は、納入が間に合わないから、製品の受注があった時と並行して、製品の製造は始まってみたい。
その製品に合わせた文書の作成が大変だったよ。
etekoは、日立エンジニアリングの電子工場と言う所に配属されたんだけどね。
その当時は、やっと、ワープロの富士通のオアシスが出た時だよ。
このワープロは、当時は、400万だったよ。
このワープロを使って、社内の文書を作成したのは、etekoが初めてだったよ。
それまでの、工場の図面や仕様書は、みんな手書きだったよ。
それと、手書きの図面や文書を印刷したのしかなかったよ。
何しろ、電子工場には、手書きの図面や文章を、印刷する日立印刷って言う子会社もあったよ。
それに、図面や文書を作成する為の補助の協力会社も隣のフロアにあったよ。
ここのフロアーには、図面を引く、クラスターって言う台が10台近く並んでたなあ。
etekoが電子工場に行ってからは、そこで図面を書いてた人は見かけなかったなあ。
その頃の図面の作成は、ゼロックス修正が主体だったよ。
製品の内容が変わると言っても、ガラッと変わるもんじゃないよ。
前回の製品の図面を、青焼きやコピーするよ。
そこに、修正液で、変わった部分を消したりして、新しく書き込むって言うもんだったよ。
この協力会社の補助員は、20人くらいはいたのかなあ。
そこに、2、3人の叔母さんと、男子が混じってたなあ。