岡倉天心記念館のこと。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



【Front Japan 桜】香港で本当は何が起こっているか? / デジタル人民元[桜R1/9/10]を聞きながら、ぐだぐたとブログ岸のようなものを書いてみよう。





8月27日のナカちゃんの告別式が終わってから、お骨は、田尻の家に持ち帰った。
ナカちゃんが住んでた日本間に、簡易の祭壇を作ってもらった。

この日、etekoが驚いたのは、田尻の家の駐車スペースには、6台の車が停められるという事だった。

親類を含めて、9人の人間がナカちゃんの田尻の家に訪れた。

この家が始まって以来の人が、ナカちゃんの家に訪れた。

葬儀屋さんの三宝堂さんと花屋の石川さんは、三宝堂さんのゴルフコンペの付き合いだ。
それと、ナカちゃんの弟の家族が4人。
山形の鶴岡から来た、伊棒兄弟の叔父さんだった。

そして、etekoと妹の9人が集まった。

線香をあげてみんな帰って行った。
山形の鶴岡から来た叔父さんは、田尻の家に一泊する。
etekoも、付き合うことにした。

鶴岡の叔父さんは、ナカちゃんの葬儀の為に、田尻の家に、二泊していった。

二泊目の夜に、叔父さんから、ナカちゃんのことについて、初めて聞いた話がある。
叔父さんは、小学校に入る前に、ナカちゃんから、ランドセルを貰ったと言っていた。

叔父さんは、etekoとは、一世代上の年だよ。
75歳?とか言っていた。
そんな老人が、遠く離れた山形の鶴岡から、日立市まで来るのに恐縮した。




28日の10時に、鶴岡の叔父さんと、田尻の家を出ることにした。
北茨城市まだ、見送ることにした。
鶴岡の叔父さんは、帰りに安いガソリンスタンドで、ガソリンを擦れたいって言ってた。

etekoは、北茨城市にある安売りのスタンドに寄ることにした。
そして、その後は、岡倉天心の記念館に行って、北茨城の観光案内をすることに決めてた。




岡倉天心の記念館に行ったのは、10年前くライ前だった。
その前も、2,3回しか行ったことないよ。

10年ぶりに訪れた、岡倉天心記念館は、3.11の震災の津波で、メインの建築物の六角堂が、海の藻屑になったというのは聞いていた。
あれから再建されたのは、分からなかった。滝汗




北茨城市の安いスタンドで、安いガソリンを入れた後に、岡倉天心記念館に向かった。

岡倉天心記念館の前には、三階建てのホテル?建っていた。
前に訪れた時は、あんまり記憶に残ってなかったなあ。
こんな感じだったんだなあ。

この辺りの風景は、10年前以前に訪れた時とちっとも変ってなかった。びっくり

その前にある、空き地?から、六角堂の建てられていた海の先端を見た。
そこから、六角堂は見えなかった。
海に突き出た奇岩の上に、銀色の小さな塘路みたいのが建っていた。
あれは、六角堂が建ってた場所かなとも思った。

3.11の震災の津波でやられた六角堂は、再建されてないのかなあとも思った。







岡倉天心記念館の入り口に入る前の道の右側にね岡倉天心のお墓があるのに気づいた。
今まで来た時には気づかなかったよ。

入ってみると、土盛したお墓らしきものがあった。
周りは、高い雑木で、日差しがさえぎられていた。

湿気満々で、君が代の歌みたいに苔が蒸していたよ。
後で資料を見て分かったんだけど、岡倉天心のお墓は、東京の方にあるみたい。
そこから分骨して、このお墓が建てられたみたい。

お墓の敷地には、日本画家で有名人な人が植えた椿の木とか植わってたよ。
名札か゛かかってたけど、誰だか分かんなかった。

きっと、日本画の大家ショボーンなんだろうね。





この墓地が建てられたのは、何時なんだろう。
明治の好機かなあ。
岡倉天心は、50歳で亡くなったみたい。
etekoが驚いたのは、お墓の入り口の両脇に、ショロの木が植えられてたよ。

ショロの木って、100年も経つと、こんな細枝みたいな姿になっちゃうんだね。びっくり













ここが、岡倉天心記念館の入り口だよ。
入場門が、昔の建屋をそのまま利用してるよ。


この時に入場したのは、etekoと鶴岡の叔父さんの二人きりだった。
受つには、叔母さんが一人いた。
中に入る前に、横の部屋で、岡倉天心記念館の説明ビデオが見られまよだってさあ。

そのビデオを15分くらい見てから、岡倉天心記念館の中を探索したよ。

ここで見たビデオは、YouTube で、前に見たことあるよ。ニコニコ





























ビデオを見ながら、置いてある岡倉天心の資料を見たよ。
今まで、こんな事はなかったよ。
前に来た時よりもも岡倉天心の事の知識を得たよ。照れ


この岡倉天心記念館は、彼の別荘地だったんだね。
長野の方にも別荘があったみたい。
彼は、東京とか横浜あたりに住んでたみたい。

その中でも、北茨城市にある岡倉天心記念館が有名なのは、この場所に、大正、昭和の日本画家の王御所たちが集ってって、絵の研鑽に励んだよ。
その中には、横山大観なんて人達の名前が出てくるよ。びっくり














そんな敷地内を歩き回りながら、いっぱいスマホで写真を撮っちゃったよ。
今までにこんな事なかったなあ。

写真を撮っておきたいスポットが沢山あったんだね。

しかも、etekoの地元の日立市の隣の北茨城市に、明治の末頃からこんな場所があったんだね。
芸術や教育の後進県の北茨城地域に、100年前以上にこんな場所が存在してたんだね。びっくり






ここの建屋で、若い頃の横山大観とか、日本画の重鎮たちが、切磋琢磨して、絵をかいてたんだね。
テレ東の、お宝鑑定団も、この場所は訪れたと思うんだけどね。
etekoは、10年以上もテレビを見られなくなってるから、そんな放送があったかどうかはわからないけどね。ショボーン











3.11の震災の津波で倒壊した六角堂は、再建されてたよ。
資料で見たんだけど、ガラス窓のガラスは、当時は、日本の奇術では作れなかったんだってさあ。
そんなもんで、アメリカから輸入したんだってさあ。

今から、10年以上前だよ。
そんな昔に、この地に、こんな別荘をたてた岡倉天心て凄すぎたなあ。

しかも、etekoよりも長生きしてないよ。
50歳で亡ショボーンくなったみたい。








六角堂の経ってる海に突き出した奇岩の上から周りの風景を写してみたよ。
etekoも思ったよ。
お金があれば、こんな場所に別荘を建てて、優雅に暮ショボーンらしたいよ。







































岡倉天心記念館の建屋の一つに、釣り船が置いてあったよ。
岡倉天心は、この船に乗って、庭の前の海で、釣りを楽しんでたみたい。
毎日、釣ったばかりのお魚の刺身を食してたんだろうなあ。

優雅過ぎるなあ。びっくり