ナカちゃんの告別式は、8月の27に金沢葬祭場で執り行った。
あれからもう一週間も経っちゃた。

式が終わって、ナカちゃんの棺は火葬場に向かった。
親父の時は、平和台だった。
金沢葬儀場の火葬場に行ったのは初めてだった。
火葬が終わるまで、控室に終わって、精進揚げの昼食を取った。
30食分をよやくしたけど、5,6食は余っちゃった。
施主のetekoは、食べてる暇もなかったなあ。
それでも終わりの頃に、余ったお刺身を3人分を食した。
お刺身は、お持ち帰りは厳禁だからね。
暑いせいか、生きもよくなかったなあ。
保冷剤が入ってるのを食したことあったけど、今回のは、入ってなかった。

etekoは、これで施主は最後だなあ。
後は、送られる側に回るだけかなあ。
8月19日から27日まで目まぐるしかったなあ。
後半は、疲れも出たせいか、夏風邪をひいてしまった。
鼻水か゛止まらないよ。
頭がパンクしちゃった。
(仮)通夜の時間が、坊さんの都合で、16時30だったのが、18時に変更になったよ。
時間の変更を、久慈浜のおばさんに伝えるのを漏らしてしまったよ。
父方の兄弟には伝わらなかった。
(仮)通夜が始まる、30分くらい前に、久慈浜の叔母さんがやってきた。
etekoの顔を見つけれると、烈火のごとく怒ってどなりつけられた。
「何で、時間が編子になったを知らせてくないんだよ。」
おおー、今まで、こんなに怒りをぶつけて攻撃してくる人を見たことないなあ。
何処かの国の火病だなあ。
これって、etekoが物心ついた頃に見たなあ。
あれは、58年前の出来事だったなあ。
家族で四人で、家で夕食をしてる時に、晩酌の酒の入った親父の茶舞台返しが始まったよ。
あの時の親父の愚痴は、ガキでもわかるようなくだらないものだった。
飯の炊き方が固い。
おかずの味付けが悪いとか。
食器や食べ物を、畳の上にぶちまけてた。
あれは、火病。?
親父系の親族には、半島の血が混じってるのかとも思った。
と言う事は、etekoの中にも、かかありたくない半島の血が少し混ざってるのかなあ。
etekoも汚鮮されてるのかなあ。
そんな事を妄想したりしてしまった。
そう言えば、親父か゛酒乱で暴れ出した頃に、新町で、古物屋をやってた北朝鮮人が、近所に引っ越してきた。
ナカちゃんが、昔、ちらっと言ってたのは。「あの人たちは、新町にいた時は、リヤカーを引っ張って、街を毎日、うろついてたよ。私たちが、桜川町に引っ越したら、後からついてきたよ。半島の人とは、かかありなっちゃあいけないよ。」、と言われ続けて育った。
そのおかげなのか、近所に半島の人が住んでたけど、何の付き合いもないよ。
まてよ、はす向かいにあるパチンコ屋で、ずーと付き合ってきたなあ。
そう言えば、近くに移ってきた北朝鮮人が、朝鮮日報を購読するようにって、親父に頼み込みに来たのを思い出した。
その時、親父は、「俺も朝鮮人だ。」、と冗談のように言ってたのを思い出した。
あれは、冗談じゃなかったのかなあ。


ナカちゃんが亡くなってから、etekoの昔の記憶が少し蘇ってきた。
ほんのわずかだけど、文字にして残すには膨大な時間を費やしそうだよ。

ナカちゃんは、金沢葬祭場で火葬された。
白い煙となって、天に昇っていた。
お骨拾いをした時、白い骨と一緒に、大きな黒い金属の断片が二つ出てきた。
それは、ナカちゃんが左右の足の股関節の補強に入れた金属のボルトだった。
その大きさは、醤油の小瓶くらいあった。
お骨と分けられて、2つの金属のボルトが、お骨の横に置かれてた。
「この金属片は、どうしますか。?」、と、係の人に聞かれた。
etekoは、一瞬、迷った。
お骨と一緒にしようかともおもったけど、廃棄してくださいと答えた。
年老いて小さくなったナカちゃんの股関節に、こんな大きな金属のボルト?が入ってるのにも驚いた。
島崎病院で、70代になって、二度の切開手術を受けた。
それまでは、歩行困難で、全く歩けなかった。
外出する時は、車椅子だった。
etekoが、いつも車椅子を押してた。
股関節の切開手術をしてからは、手すりを伝って、家の中は移動できるようになった。
たた゜、長い距離は、歩けなかったなあ。
10メートルくらいが限度だった。
考えてみると、etekoは、20年くらいは、親の介護?で時間を潰してたなあ。