藤圭子♥追悼:乾杯トークソング♪「人生一路」「新宿の女」「はしご酒」と言う動画を聞きながら、etekoの創作ノートを書くだす。

26日は、専照寺さんの御威光で、(仮)通夜をやることになった。
貧乏なetekoは、告別式の一日で済まそうと思ったんだけどね。
お寺さんから、チャチャが入って、仮通夜なるものをやるようになったよ。
この仮通夜が、事件を起こしたよ。
あれれー、と思ったよ。
親父の、兄弟は、これだったんだんだと、半世紀ぶりに思い出したよ。

仮通夜は、三宝堂さんの、社屋でやることになったよ。
坊さんが、無理やりねじ込んだよ。
最初は、16時30分からだって話だったよ。
そしたら、前日の日に、坊さんの都合によって、18時からにしてくれだってさあ。
etekoは、毎日、三宝堂さんの建屋にいて打ち合わせの日々だよ。
etekoは、告別式だけでいいと思ってたんだけどね。
お付き合いのある専照寺の坊さんからは、仮通夜もやってくれだってさあ。
最初は、16時30分からの予定だったのにさあ。急遽、18時からになったよ。
これが、凄い、悲劇を呼び起こしたよ。
連絡漏れを起こしたよ。
そしたら、久慈浜のおばさんが、火病のごとく、孫暴動のドアを開けて入ってきたら、etekoに文句を言ってきたよ。
おおー、これって、半世紀前の、etekoの親父だよ。
親父の兄弟は、火病を背負ってるのかと思ったよ。
祖母は、朝鮮人なのかとも思ったよ。
朝鮮人かもしれないなあ。
半世紀ぶりに、火病の身内を見たよ。
火病を起こした親父とは、親父が死ぬまで、一緒に飯を食ったことがなかったよ。

ああー、27日は、金沢葬祭場で、告別式だったよ。
9時に、三宝堂さんの建屋から出棺だよ。
この時は、高萩の叔父さんの、息子たちが来てくれたよ。
後は、親父の妹の息子が来てくれた。
そして、山形から着た叔父さんもいた。
出棺の時に、六尺って言うのをやってくれたよ。
棺を、霊柩車に乗せる前に、時計回りで、ぐるぐる三回、回るんだる。
etekoは、遺影を抱いて、霊柩車に乗って、金沢葬祭上に向かったよ。


etekoはも喪服を着こんでたよ。
いやいやだよ。
20代くらいに作った喪服は、入らないよ。
パツパツだよ。
ワイシャツも、パツパツだよ。
太り過ぎだなあ。

ワイシャツも、自分の身体が収まる奴がないよ。
治まったやつは、襟とか、首のところが汗で黄ばんでるよ。

ナカちゃんの葬儀は、家族葬って事にしたよ。
享年91歳だよ。
友達も、知人も先に行ってるよ。
新聞にも出さなかったよ。
新聞に出すと、地元の市会議員とか県会議員がやってくるよ。
代理の秘書なんかが、えらいことを能登マウンじゃあないのかなあ。

そんなのは耐えきれないので、家族層って事にしたよ。
参列者は、30人くらいだったよ。
親戚がほとんどだったけど、その他の人も来てくれたなあ。

おおー、何十年かぶりで出会う爺さん達もいたよ。
etekoのボロ屋敷が、最初は、日立製作所の国分工場の量だったよ。
その時の、爺さんが、3人来たよ。
小林さんと言う爺さんが来たよ。
私は、昭和36年の第一期の寮生だって言ってたよ。
桜川のボロ屋敷に、半世紀前に、来た人達は、100人、200人は超えてるかもね、
あの時は、東北の方から、金の卵見たいので、日立市に沢山の高卒の若者が、全国から来たよ。
ただ、昭和の30年代は、多賀地区には、借家や社宅が、手薄だったよ。
そんなもんで、etekoの桜川のボロ屋敷は、国分工場の量になったんだなあ。
家の、2階は、最初は、20人ぐらいの寮生が住んでたよ。
半世紀前は、桜川のボロ屋敷には、20人ぐらいが、一つ屋根の下で暮らしてたよ。

その時の、最初の寮生の人達が、ナカちゃんの通夜に、3人来てくれたよ。
年を聞いたら、みんな、80代経ってさあ。
ある意味、感激しちゃったよ。
桜川のボロ屋敷には、100人、300人くらいの人が、寝泊まりしてたよ。
ナカちゃんの通夜に来てくれた、80代の爺さん達は、東北から出てきて、その後は、日立市に℃止まった人達だよ。
日立市に留まって、結婚して、家族を持ったよ。
でもさあ、桜川のボロ屋敷に、寝泊まりして、日立市に留まった人達は、数パーセントだよ。
1割もいないなあ。
他の人達は、どこに消えたんだろうね。
みんな、80代、70代の、爺さんバアーさんになってるんだね。


おおー、あとの写真はなんだっけ。
もう眠いよ。
今日は、ここいらで寝よう。
明日は、燃えるゴミの日だよ。
こりゃあー、出さんといかんよ。







