”日曜日の夜に、お袋が入院しちゃった。” | eteko屋スタジオ

eteko屋スタジオ

勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

過去の思い出を振り返り投稿しよう

みんなの回答を見る

 

4年前の今頃も、ナカちゃんは、日立総合病院に緊急入院してた。

 

etekoの両親は、日立総合病院には、随分、お世話になってきたなあ。

 

親父は、etekoが子供の頃から、喘息持ちで、町医者のお世話になってた。

ステロイド系の吸引する薬をてばされなかった。

 

その薬は、高価なものだったけど、1日も持たない時もあった。

いつも、げほげほやってた。

 

喘息の発作がおこると、町医者に来てもらって、大きな注射を打ってもらってた。

 

それでも、良くならない時は、日立総合病院への入院となった。

 

この喘息が、ちっとも良くならなかったのは、飲酒とタバコだと言うのは分かっていた。

 

その原因は、桜川のボロ屋敷を建てた時から、始まった。

 

その時は、etekoが、小学生の1年生の頃からだったか。

 

親父は、日立市の新町と言う所で、米屋をやってた。

新町は、日立鉱山の方から流れる宮田川に沿って、栄えた集落だった。

 

そこは、日立製作所の発祥の地だ。

 

もともとは、鉱山の方で栄えていた。

 

そこで、米屋をやってたものだから、実入りは良かった。

 

etekoが、5歳くらいの時に、親父の弟に、この店を任せて、親父はこの新町からは、南の多賀地区に、大きな二階建ての家と店舗を建てた。

 

この家を建てるにあたっては、親父は、全財産をはたいて大きな家を建てた。

 

それが、etekoの家族の悲劇の始まりだったなあ。

 

新町のお店は、弟に任せたけど、名義は、親父のままだった。

 

2年くらいしたら、茨食から、コメを卸した代金が、入金されない状態で何か月も経ってると言ってきた。

 

新町の店の名義は、親父のままだった。

弟に譲ったつもりでいた親父は、名義はその内に書き換えるつもりでいたみたいだ。

 

ところが、卸の方に、この弟が謝金を作ったみたいだ。

 

親父も、これには驚いた。

 

真面目に商売をしてれば、若い俺でも、こんな大きな家を建てらた。

その原資は、新町時代に、汗水たらして働いたおかげだ。

 

それが、卸しに謝金するなんて、どうなってるんだ。

 

その内に、家にチンピラが来るようになった。

 

弟は、博打にはまり、大きな借金を作たみたいだ。

 

その為に、首が回らなくなってしまった。

 

その借金の取り立てが、親父の方にも来たのだった。

 

弟は、弁天町にある実家の両親からも、お金を持ち出してたみたいだ。

 

あれから、etekoの悲劇が始まったんだなあ。えーん

 

 

お盆は終わったのかなあ。

8月に入ってからは、いろいろ思い出して、もやもや状態だなあ。

まとまりのない文章は、その内にまとめて、小説でも書こうと思ってるんだけど、etekoに残された時間はあまりないなあ。ショボーン