John Lennon - Double Fantasy だす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



新しいPCからアメブロへの投稿ができずにもやもやしてたよ。

設定がもやもやなんだなあ。

今になって、なんとかなったみたい。

壊れたPCからは、以前はYouTube で見てる音楽動画をネタにして記事を投稿してたけど、途切れちゃったね。

途切れた間には、ビートルズ関連の音源を聞きまくってたよ。

ビートルズソングも歌ってみたいなあーって言う欲求が高まってきたよ。
その前に英語も勉強しないといけないと思ってるよ。

今まで60年以上も生きてきたのにねね。
英語ができないよ。


でもねぇ、今は、話せるようになるかもしれないという希望の光があるよ。
引きこもり老人となったetekoは、最近は、日本語で他人と会話することがほとんどないよ。

外から流れてくる言語の音源は、日本語と英語だけだよ。
英語の方が多くなってきてるみたい。
もちろん、英会話ができるレベルじゃあないけどね。

英語の音源の中に、自分の知ってる単語が耳に入ることが多くなってきたよ。
少しづつ英語の能力も進歩してるみたい。

少しづつと言っても、etekoのギターと同じような進歩だなあ。
それ以下だよ。

それ以下だってことは、ほとんど進歩してないってことだなあ。
救いは、英語に関心を持ってるってことは、今よりは後退はしないってことだね。

John Lennon の音源を聞いてる内に再認識したのは、Jhon の命日は、12月8日だって言う事。
1940~1980までの生涯だった。

そんなことを再認識したよ。

1980年はetekoが社会人になった年だよ。
実家の日立市に戻って、会社勤めを始めた年だよ。

だから、Jhonの訃報を知ったのは、JRの常陸多賀駅を降りたロータリーでしったんだよ。
駅前のロータリーに商店街の街頭放送が流されてたんだなあ。
Jhonが打たれて、危篤状態だというニュースは、直ぐにetekoの耳に入ってきた。
いつもは、ただの騒音にしか聞こえない街頭放送の音を避けるように、駅前のロータリ付近を通り過ぎようとしてた・
この時は、ロータリー付近に立ち止まって、ニュースの内容を一字一句漏らさないように聞き耳をたてた。

etekoは、この時の状況を勘違いしてるのに気が付いた。
etekoは、今まで、上り方面の次の駅の大みか工場から常陸多賀駅に降りたと思ってたよよ。
でも、Jhonの命日が、12月8日だということは、撃たれたのは17日だよ。
1980年の12月は、etekoは、下り方面の日立エンジニアリングの十王工場と言うところに通ってたよ。

下り方面の駅から常陸多賀駅にetekoは、あの日、降り立ったんだね。


ああー、John Lennon は、今でもこんなに近くにいるのに、彼があっちの世界に旅立ってからは、40年近く経つんだね。

こんなことを書いてると昔の記憶が、細い糸をたぐりよせるみたいに、いろいろよみがえってくるなあ。ショボーン