兵隊ヤクザってさあ、etekoの親父の事だと思ってたよ。
親父の事が映画に生ってるのかなってね。
親父は、戦争の頃、少年志願兵かなんかで、二十歳にもならない頃に、陸軍に志願したみたい。
親父は兵隊さんだったんだなあ。
もともとは、実家は、福島の会津なんだけどね。
幼少の頃に、祖父母がブラジルに移民しようとして、幼少の親父と姉を親戚にあづけて会津を離れたよ。
神戸まで行って、移民船でブラジルに渡航しようとしたけど、最終検査で引っかかって、ブラジルには行けなかったよ。
そんな祖父母が戻ってきてたのは、会津には近い、隣の茨城の日立市だった。
ここは、日立銅山と、震災の後の日立製作所で、景気が良かったよ。
その地まで、祖父母は戻ってきたよ。
生まれた地元の会津までは、戻れなかったなあ。
一旗揚げようと、ブラジルに移民するために、地元の田畑は売り払って、幼い子供は親戚にあづけて出て行ったよ。
そんな祖父母が、戻れたのは茨城県の日立市までだったんだなあ。
幼少の親父と姉は、会津の親戚の家にあづけられて過ごしたよ。
姉は二十歳も行かない内に嫁に出た。
親父も青年志願兵として、15,6で、陸軍に志願したよ。
姉は、嫁に行ったけど、若死にした。
親父は、兵隊に行ったけど、間もなく終戦になった。
親父の帰る場所は、祖父母が、住んでる日立市かなかったよ。
終戦後の日立市は、酷い状況みたいだった。
それまで、日立市の一帯は、銅山、炭鉱地帯が広がってたし、おまけに日立製作所が復興してたよ。
日立製作所は、戦中は軍事工場だったよ。
その為に、終戦直前には、艦砲射撃とか空爆を受けたよ。
空爆はあったのかなあ。
調べてみよう。
兎に角、日立市も、海沿いに日立製作所の工場群が立ち並んでるから、東京と同じ様に焼野原にされたよ。
親戚のセイちゃんは、山一つ向こうの水府村に住んでたよ。
あの時は、10歳ぐらいだったけど、海の方の山向の日立市のほうか゛ずーと明るくて、ドカン、ドカンて、花火が上がってるような音を聞いたって言ってたなあ。
親父は、終戦になって、東京から引き揚げてきたんだなあ。
外地にはでてなかったみたい。
陸軍に入隊してから間もなく終戦になったみたいだよ。
だから、今のetekoが存在するんだね。
終戦直後の日立市も凄かったみたい。
あんまり話には聞かないけどさあ。
日立市は、戦前戦後から景気が良かったみたい。
そこには、半島からの朝鮮人も沢山、潜り込んでたよ。
その結果は、大東亜戦争の敗北でどうなるかは、明らかだよ。
日立市にもそれなりの、半島のチョンとの戦争があったけど、そうした歴史を残した文書は一つもないなあ。
書き残すべきだよ。
etekoが最後の世代だからね。
なんて、妄想を繰り返してると、まだまだ生きて行けるみたい。