ナカちゃんに怒られる。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。




etekoのお袋は、この頃には生まれてたよ。

親父もお袋も、昭和の一桁生まれだよ。
親父は、不節制がたたって、15年くらい前に亡くなったよ。

ただ、この親父は、身体は丈夫だったよ。
少年志願兵で、軍隊に行った人だからね。

この親父とは、死ぬまでに、まともに一度も、口を聞いたことないよ。
etekoが、物心ついたころから、早く死ねって思ってたよ。

etekoが物心ついた時から、家では、晩酌して、いつも暴れてたよ。
酒乱てやつだよ。

etekoは、その頃から、家族で、食事をするって事は無くなったよ。
いつも、自分の部屋で、ひとりで食事をするようになつたよ。

小学生の高学年からだったかなあ。
食事は、自分の部屋で、ひとりで食してたよ。

今も同じだけど、その頃は、お袋が作った食事を部屋に運んでくれたなあ。

そんなもんで、小学生の時から、家族の会話とかなかったよ。
親父とも、全く、会話したことないよ。

親父と会話したのは、親父が亡くなる前年くらいかなあ。
その頃の、親父は、半年くらいは、入院生活で、家に帰ってくると、寝てる事が多かったなあ。

激やせしてたなあ。
親父が愚痴を言ってたよ。

朝の散歩で、家の周りを歩いていて、近所の人に会っても、誰も親父だって、人気しないんだってさあ。

やせ細った親父を、Kさんて、認識してくれないのを、嘆いてたなあ。

この年は、何度か、心筋梗塞で緊急搬送されたなあ。
行くのは、多賀病院だったなあ。

その頃は、多賀病院は、家から一番近い総合病院だったからね。

そんな緊急搬送が、2.3回はあったよ。
あの時に思ったよ。

こんなに、救急車に乗る一般人ていないよ。
ギネス記録だって思ったよ。びっくりびっくりびっくり