キウイを120個収穫した。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

先週の事だった。

部屋の前になってるキウイを120個収穫した。

 

キウイは毎年収穫してるけど、収穫時期と言うのが今いち分からないよ。滝汗

 

 

先週のブログ記事で、2年か3年前の記事で、今頃、キウイを収穫したと言う記事が載ってたんで、収穫してみた。

それで、半分くらいしか収穫してないなあ。

 

収穫前に、自然落下してたキウイを20個くらい食したけどね。

まだ硬いて感じだったなあ。

もう少し待ってみようと思ってた。

 

ボロ屋敷の周りの掃除もしようと思ってた。

キウイの葉っぱや雑木の葉っぱが落ちてこんな状態だよ。

ほったらかしだよ。ショボーンショボーン

 

まだ少し、落ちない葉っぱもちらほら残ってる。

 

etekoが寝てる部屋の前もこんな状態だよ。

この部屋しか使ってないよ。

木製の戸を出しっぱなしだよ。

そんなもんだから、部屋には、外の光が入らないよ。

部屋にいる時は、電灯を点けっぱなしだよ。

ただ、左端は完全に閉まらないので、ちょこっと、日が入るけどね。

それでも、部屋の電灯は点けっぱなしにしないと暗いよ。ガーン

 

この写真みてたら、アメリカの作家の「一片の葉」?と言う短編を思い出したなあ。

題名も作家名も忘れてる。

内容もうろ覚えだけと゛、

 

「アパートに住んでる住人が病気になってベットで寝てる。

病人は自分の死を自覚するようになる。

部屋の窓から、一本の木が見える。

その木は、夏は緑の葉っぱを青々と広げてた。

秋になり、紅葉する。

冬になって、枯れた葉が落ち始める。

落ちる葉っぱを病人は、寝たっきりで、窓ごしに見続けてた。

葉っぱは、数を数えらまで落ちてしまった。

 

病人は、葉っぱを自分の命と関連づけるようになっていた。

最後の一枚が落ちた時に、私は天国に旅立つとね。

 

外は寒さがまし、冷たい風が吹きまくる日もあった。

でも、最後の一枚の葉っぱは、青々したまま、枝から落ちなかった。

 

病人は、その最後の一枚の葉っぱに勇気づけられた。

冬は去り、暖かい春がやってきた。

一枚だけ葉っぱの残った木にも新芽の葉っぱが噴き出しした。

それにつれ、病人も体力が回復し、とうとうベットから絶てるようになった。

病気が回復したのだ。

 

病人は歩けるようになると、最後の一枚の葉っぱが残った木を確かめに行った。

その最後の一枚が病人を勇気づけてくれたんだ。

 

病人が木に近づき、最後の葉に触れると、それは、良くできた模造品だった。

しかも、落ちないように枝に張り付けてある。

 

この話しの落ちは、同じアパートに住む学校友人の売れない画家が模造の葉っぱを作って、木に張り付てたと言うものだった。

 

内容がうろ覚えだなあ。

二人は、恋人同士だったのか、友人だったのかも覚えてない。

 

読んだのは、40年以上前だなあ。

そう言えば、本を読むのが好きだったのは、学生時代までだったなあ。

社会人になって、忙しい会社にはいて、本を読まなくなったなあ。

ただ、この忙しい会社を辞める頃には、また本を読みだしたなあ。

 

そして、会社を辞めてからは、また読まなくなったなあ。

 

etekoの読書?のムーブメントは、今まで、2回あったんだなあ。

 

そして、今は3回目のブームがちょこっときてるのかなあ。

百田尚樹の本はみんな読んでやるぞって思ってるよ。

 

それに、小説を書こうとも思ってるからね。

 

 

それにしても、何事もすすまないなあ。

家の周りの掃除も、部屋の前の所しか出来てないなあ。

年を越してしまうなあ。滝汗滝汗