今はこんな動画を見てる。
英語のお勉強をかねてね。
と言いながら、まったく聞き取れないなあ。
たぶん、こんな事をいってんじゃあないかと妄想しながらね。
でも、一部は聞き取れるなあ。
学校に行ってた時は、英語の授業があったからね。
それにしても、時間をかけた割には情けない結果だなあ。
そんな事を妄想してたら、父方の祖父の話しを思い出した。
日立市にアメリカ進駐軍が来た時に、当時の住民は、英語で受け答えが出来なかったみたい。
敗戦になるまで、鬼畜米英とか言ってたよ。
英語の教育なんか、一般庶民には禁止してみたい。
日立市に最初に進駐軍に受け答えしたのが、etekoの爺さんだってさあ。
誰も英語を理解できなかったけど、爺さんは理解できたんだってさあ。
爺さんは頭がいい人だとは言われてたみたいだけど、中学に進んだと言う話しは聞かなかった。
でも、若い頃に夫婦で、ブラジルに移民しようとして、故郷の会津を飛び出して神戸まで行ったくらいの人だよ。
英語はブラジルに渡る前に独学で勉強してたのかもしれない。
ブラジルへの入植は、最終検査でひかかって行けなくなったと言ってた。
視力がないのと体格で、はねられたみたい。
爺さん夫婦は、仕方なく福島県の会津に近い?茨城県の日立市まで戻って来たよ。
日立市に戻って来た爺さんは、敗戦まじかの空襲で被災したよ。
その時は、食糧倉庫の管理みたいな仕事をしてたらしい。
倉庫内にいたら、倉庫が被弾した。
倉庫内に積まれてた、穀物の俵らが破れて、中の穀物が溢れ落ちて爺さんを生き埋めに下みたい。
この時は、仲間に直ぐに掘り出されて、九死に一生を得たと言ってた。
この時、爺さんが死んでたら、今のetekoはいないと言う話しになるんだけど、そうはならないよ。
爺さん夫婦は、ブラジルに渡ろうとした時には、幼い2人の子供がいたよ。
2人の幼い姉弟を親戚にあづけて、故郷をはなれたよ。
その弟の方が、etekoの親父だよ。
爺さんが、この食糧倉庫の仕事をしている時に敗戦を迎えたんだろうなあ。
そして、敗戦後に食糧倉庫のような国の重要な施設にアメリカの進駐軍が真っ先に来たんだろうなあ。
そこで、英語で受け答えできたのはetekoの爺さんだけだったと言う話しだ。
でも、etekoが妄想するに、英語の受け答えは、「イエス」「ノ」「サンキュ-」くらいのような気がする。
アメリカ兵のしゃべってる表情を見てれば答えられるよ。