まともに音が出てるのかなあ。
このギターは、ちょうど半世紀前に、etekotが購入したアコースティック・ギターだよ。
本当に、50年くらい前だなあ。
その頃は、フォーク・ギターと言われてたよ。
国産のギターで、ジャンボって言うなまえだったなあ。
5万円したのを覚えてるよ。
今でも、何処のメーカーなのか分からないよ。
中学生の時に、ベンチャーズのテケテケにしびれて、ギターを弾きたいと思ったよ。
それまで、etekoは、学校で教えてる音楽と言う教科を軽蔑してたよ。
音楽なんて、女、子供のやるもんだってね。
これは、兵隊にも行ってた親父の影響が大だよ。
だってさあ、その頃は、etekoも子供だったからね。
音楽の授業で、合唱の時なんか、ずーと、口ぱくやってたよ。
etekoは、凄いなあ。
半世紀以前から、口パクやってたよ。
そんなもんだから、etekoは、小学、中学生の時から、音楽の成績は、2だったよ。
ずーと、2だった。
他の学科は、いろいろ変動があったけど、音楽は、2だったよ。
そんなetekoが、ギターを弾きたいと目覚めたんだなあ。
その頃は、ラジオの深夜放送にもはまってて、テレビでは流れない、洋楽、ロック、フォーク・ソングなんかを聞くようになってたよ。
そんな時に、同級生の悪ガキから、ベンチャーズのレコードを売りつけられたよ。
ベンチャーズは、大分前に、ブレークしたアメリカのギターのインスト・バンドでてけてけで日本で大ブレークしたと言うのは知ってたよ。
でも、それまでに、ベンチャーズの音源を聞いたことなかったよ。
ベンチャーズの影響で、GSなんかが出てきた頃だったなあ。
ビートルズも、聞いたことなかったなあ。
売りつけられたレコードを家にあったステレオにかけてみたよ。
家には、初期のステレオがあったよ。
etekoの家には、周りの家よりも、白玉家電とか、プロパン・ガス、自動車なんかが、一番早く入る環境にあったよ。
終戦後に兵隊から日立市に帰ってきた親父は、祖父がやってた米屋の暖簾分け?で、新町と言うところで、米屋を始めたよ。
そこは、日立鉱山のある山の下だよ。
大煙突の下に出来た城下町だよ。
最初は、日立鉱山があって、そこのモータをーを修理する技術屋さんから日立製作所が始まったんだなあ。
終戦後に、米屋をやってると、かなり羽振りがよかったみたいだよ。
この頃に、親父と仲良くなったのが、海軍上がりのラジオやさんだった。
横須賀辺りの海軍で通信兵をやってたみたい。
地元の日立市に帰ってきたら、年下の兵隊上がりの親父に出会ったみたい。
二人は、意気投合したみたい。
終戦直後の焼野原の日立市では、いろいろな闇商売をやってたみたい。
東京の方に、二人でトラックで、怪しいオイルを買い出しに行ったと言う話しも聞いたなあ。
それを、化粧品だとか言って、もうけたと自慢気に話してたなあ。
同時期ぐらいに、二人は、結婚したんだなあ。
二人の付き合いは、それからも続いたよ。
ラジオ屋さんは、新町で電気屋を開業した。
日立市で、テレビが最初の頃に入ったのは、ラジオ屋さんの家だったかもしれないなあ。
最初ではないにしろ、10台以内には、入ってるんじゃあないのかなあ。
あの時は、昭和33年くらいだったなあ。
ラジオ屋さんの店舗は、道に面した2階建ての家で、一階が、店舗て゛、電化製品を置いてあった。
広さは、10畳くらいだったかなあ。
もっと、狭かったかもね。
奥に、2階に続く、急階段が続いてる。
二階の一間が、家族の住居スペースだよ。
ここに、テレビ装置と言うものが、この辺りで、初めて入ったよ。
夕方になると、20人くらいの近所の、子供や大人が、狭い部屋にすし詰めになって、白黒のブラウン管テレビに見入ったよ。
etekoが記憶にあるのは、丹下作善と言うテレビを見た時の事が記憶にあるよ。
それも、一度だけの記憶なんだけど、何度もテレビを見に行ってたと思うよ。
タイトルと動画とは、関係ない事をかいてるなあ。
まあー、いいよね。
etekoのブログは、適当だからね。
昔の事を思い出したことを書いとけば、その後にetekoが書く小説の資料にもなるよ。
それまで生きてられるのかも疑問だけどね。
取りあえずは、etekoのアメブロは、文章を書く練習でもあるのだ。
なんて、好き勝手なことを思