10/3(水) 井上和彦×藤井厳喜×居島一平【虎ノ門ニュース】だす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。




昨日は、久慈浜の病院に行ってきた。

月曜日に西山堂病院から帰ってきた。
帰りの道で、ブック・オフに寄って、百田尚樹さんの手に入れてない本を3冊購入した。
それから、諏訪のマルトに寄って食材を購入した。
帰ってきて、夕食?を作ってたら、久慈浜の叔母さんからスマホに着信が入る。
18時30頃だった。
叔母さんは、親父の10歳以上も年の離れた妹だ。
親父の方の親戚から電話が入るのは、この叔母さんだけだ。

それも、めったに電話は入らない。
1年に、2、3回くらいだろうか。

そんな叔母さんから着信が入った。


Y叔父さんの訃報かなと思った。
Y叔父さんは、5,6年前にガンになって、切開をした。
それからは、ずーと、病院生活だ。


Y叔父さんもひとりものだ。
etekoと同じだなあ。
そのY叔父さんか゛、ガンで倒れた為てからは、二人の姉妹の家族が面倒を見てるみたいだ。
そのひとりの叔母さんから連絡が入った。

「実はね。Y叔父さんがね、日立総合病院で癌の切開をした後は、XXXXと言う施設に入ってたんだけど、危なくなって、日立総合病院に緊急入院したの。その後は、久慈浜の日立港病院に転院したんだけどね。最近は、体温が上がったりして、口には酸素マスクしたりで危ないみたい。看護師さんに、今のうちに合わせたい人がいたら声をかけた方がいいって言われたの。」

そんな連絡を受けたので、次の日には、久慈浜の病院に出かけることにした。
久慈浜の病院は、「日立港病院」と言う名称だ。
場所は分かるよ。
だって、この病院で、15年前に親父が亡くなったからね。

ナカちゃんが大みか病院に入院してた時に、次の転院先の病院を決めて下さいと言われてた。
その時の候補に、「日立港病院」もあったけど、一番最初にパスした。
その為に、日立市内の病院じゃない、隣の常陸太田市の西山堂病院に入院することを決めた。

「日立港病院」へは、国道の245号線を走って行った。

そこは、海側が日立港と言う港になってる。
245号線を挟んだ山側に「日立港病院」がある。




家から国道245号を走って行くと、左手に日立港が見えてくる。
ここから、急な下り坂になってる。
その為に、視界が開けて、左側には、日立港と太平洋が望めるようになる。
その右側あたりに、「日立港病院」がある。

この辺りは、3.11の震災の津波で被災した。
この辺りは、久慈川などの河川によって、大きな扇状地になってる。

その為に土地が低くなってる。
そこに津波が来たもんだから、浸水した。
大きな被害があった。
直ぐには復旧しなかったなあ。



この病院を訪れたのは、15年ぶりだ。
ここも3.11の震災で被災したんだろうなあ。
一階は、浸水したんだろうなあ。
建屋の方は、15年前の頃とは変わらないなあ。
修復工事とか行ったのかなあ。
こんなに新しい建屋だったかなと思った。




Y叔父さんは、6人部屋のベットに寝てた。
入り口の側のベットだった。

寝顔が亡くなった親父の顔とダブった。
血の繋がりを感じた。
Y叔父さんは、親父の年を越えてる。

担当してる看護師さんにいろいろ聞いた。
「今は、体調も良くなってきて、酸素もとれました。体温も一定してます。起こしても大丈夫ですよ。」
そう言いながら、Y叔父さんの身体を揺らした。
Y叔父さんは、目を細く開いた。
その瞳には、私を確認してるように思えた。

看護師さんが病室を出で行った。
直ぐに、Y叔父さんは、瞼を閉じた。
眠りについたのか。

etekoは病室を後にした。