柿とのバトルは続く。その4 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

先週も柿の実を収穫した。

収獲したと言うよりは、駆除したと言うのがただしいなあ。

300個くらい駆除した。

 

これで、1200個は駆除したことになる。

 

この記事が、「柿とのバトルは続く。その4」になるから、柿の実の大掛かりな駆除は、4回目かなあ。

 

最初の柿の実の駆除は、プリちゃんが停めてあるスペースの上に張り出した柿の枝に、鈴なりになってる柿の実を駆除したよ。

 

暑い夏場に、青い柿の実が、落ち始めたよ。

まだ、青い実なんだけど、野鳥に突っつかれた為に、そこから傷んで落下してたよ。

 

その実が、プリちゃんのボディーやフロントガラスに落ちて爆発して、甚大な被害を及ぼすようになってたよ。

 

取りあえずは、プリちゃんの上の方に張り出した柿の枝の伐採を実施した。

この時の、駆除の数が800個だった。

一度に800個も収穫した為に、貯蔵処理も全部はできなかった。

200コくらいはダメにしちゃった。

200個は廃棄処分だよ。

 

先週は、300個くらい収穫したけど、昨日はにはこんな状態だった。

ボディーやフロントガラスを直撃したのはなかったけど、こんな状態だったよ。

 

 

 

 

写真じゃあ分かりずらいけど、高いところに採り切れなかった柿の実がまだ沢山生ってるよ。

 

ボディーの所も、ちょっと被弾してた。

見つけたのが早かったので、破片は取り除いたけど、それでもこんな状態だよ。ムキー

 

 

 

柿の枝は、半世紀前に建てられたプロパン倉庫の正面に、1本だけ植えられているよ。

この柿の苗は、etekoが植えた覚えがあるよ。

プロパン倉庫の基礎工事が終わった時の、入り口の横の所に、柿の苗を植樹したよ。

亡くなった親父が、柿の苗を買ってきて、etekoに植えさせたんだなあ。

親父にとっては、プロパンガス倉庫定礎の記念樹だったのかもね。

親父は会津の生まれで、柿が好きだったよ。

会津にいた幼少の頃は、死ぬほど柿を食べてたんだろうなあ。

そんなに食べてても、柿は嫌いにならなかったみたい。

 

ああー、思い出したよ。

親父が亡くなった15年くらい前に、この柿の実を差し入れしたよ。

その時は、etekoが日立製作所関連の会社を、自主リストラした時だったなあ。

あの頃は、バブルがはじけて、日本の景気が、右肩上がりから、右肩下がりに入った頃だったなあ。

そのトレンドにはまった日立製作所も業績は悪化の一途だったなあ。

そして、最初の早期退職制度って言うのを始めたよ。

etekoは、年齢が適用年齢じゃあなかったけど、それに乗っかって、会社を自主リストラしたよ。

その年だったなあ。

親父が多賀病院から久慈浜の病院に転院したのは、

最後は、脳梗塞で、緊急搬送で、多賀病院に入院してたけど、久慈浜の病院に転院させられた。

 

親父は、若いころから喘息持ちで、喘息の発作がどうにもならなくなると、病院に入院してた。

それでも、身体が動く生るようになると、病院食がまずいとか言って、医師の意見も聞かずに退院してきた。

年老いてきた親父は、50代で、胃がんで胃を三分の2くらい切開した。

 

それからは、家に帰ってきても、あまり動けなくなった。

 

久慈浜の病院への見舞いは、etekoが一人で行ってた。

この頃、ナカちゃんは、歩けなくて車椅子だった。

 

無くなる前日に、家に生った柿を持って行った。

久慈浜の病院に移った親父は、病院食を、まずいと言って、一切、口にしなかった。

困った、病院では、栄養ドリンクと点滴で対処してた。

 

持っていた柿は、ナカちゃんがカットして、マヨーネーズが付けてあった。

それを小さなフォークで、3っつくらい、口に運んでやった。

ベットを少し起こした親父は美味そうに食べてた。

 

次の日の夜に、職業訓練所で、アーク溶接の実習をしてたetekoの所に、親父が亡くなったと言う知らせが入った。

 

なんだろう、この柿の木の事で、いろいろな事をおもいだすなあ。

 

採り切れない柿の実はこんな状態だよ。

車道に落ちた柿の実は、残骸をさらしてる。

今までに何度も、掃除したよ。

完全につぶれないものは、ウコちゃんやetekoのエサにしたよ。

それでも、今は供給が多すぎるよ。

廃棄処分の方が多いなあ。

廃棄と言っても、家の敷地の方に履き寄せたり、敷地内に投棄したりだけどね。

それでも、完全にはきれいにできないよ。滝汗

 

 

 

プロパン倉庫の裏もこんな状態だよ。

こんな状態でいいのかいなあ。

この場所だから許されることなんだろうね。

 

裏の市営住宅の通路や庭も、似たり寄ったりだよ。ショボーン

 

 

柿の枝は、道路にもはみ出てる。

低いところの枝は、伐採したんだけどね。

これでもかなり伐採したよ。

伐採してて、これ以上は無理だと思ったよ。

電動のこぎりかチェンソーウを買わないと無理だとも思った。

でも、お金が無い。

葉が落ちた冬場に何とかしようと思ってる。

今年の冬場は体調不良で動けなかったからね。

 

 

 

向いのFさんの家もこんな状態になっちゃってる。

Fさんの家は、老夫婦が住んでいた。

それが、奥さんが亡くなって、次の年に、夫がなくなった。

あれは、2年前かなあ。

Fさんの家は、etekoのボロ屋敷が建ってから、直ぐにたてられた。

その時には、周りに民家はなかったよ。

その後に、周りに市営アパートが建ったよ。

その頃は、周りは、農地だったよ。

半世紀以上も前だよ。

Fさんの家は、一番最初のお隣さんだった。

Fさんの家は、誰もいなくなった。

まもなく、etekoと幼なじみの息子が、ひとり帰ってきた。

 

亡くなったFさんは、庭いじりが日課だったよ。

庭では、花を栽培したりして、良くおすそ分けをもらってたなあ。

 

Fさんは、90歳で亡くなったんだなあ。

 

帰ってきた息子は、ずーと、東京の方に出てたらしい。

庭いじりに関心はないみたい。

 

老人がひとりで住む家は、こうなっちゃうのかね。

 

どうしようもないなあ。

 

自分ひとりではどうしようもないなあ。

 

時に流されるだけなのかなあ。ショボーンショボーン