etekoは都に行くのかなあ。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



etekoは、40年くらい前に、東京都にある三流大学にいってたよ。

ここでカミングアウトすると、日大法学部って言う大学だよ。

この大学は、現在、巷でいろいろ騒がせてるみたい。

etekoは、一浪して何とかここの大学にひかかったよ。

一浪してる時は、仙台の予備校に行ってたよ。
でも、高校に入った時からから、受験体制にはついていけなかったよ。

仙台に行っても、受験の勉強は、すぐにやらなくなっちゃったよ。

高校に入った時は、目指せ東大だったのにね。

高校に入った頃は、トップクラスで試験受かったのにね。

入ったら、坂道を転げおちたよ。
一年生の時には、定期試験の成績が貼り出されるよ。
トップクラスだったんだけどね。

受験勉強に拒絶反応が起き始めたよ。
将来が見えないんだ。
いい成績で、いい大学に入って、いい企業に就職して、先がどおなるのって思い始めてた。

とにかく、先が見えないよ。

暗記の勉強に、etekoの脳みそは拒絶反応を起こし始めたよ。


3年生になったら、赤点の連続で、夏休みに補修従業を受けさせられたよ。

その年に受けた大学は、みんな落ちた。

浪人生活、決定だった。

その時に、幼馴染のT君が、一年浪人して、東北大学に合格したよ。
T君の親と、etekoの親は、新町で終戦後に、親友関係だったよ。

どっちの、親父も兵隊帰りで、日立市にもどって、相棒になった。
etekoの親父は、陸軍の少年兵だった。
T君の親父は海軍の通信関係の兵隊だった。

年齢は、どっちも、二十歳ちょいだよ。

そして、この日立市で、同じ頃に結婚して、子供をもうけた。

親父は、新町と言うところで米屋を開業した。
そして、T氏は、この店舗の反対側の2,3軒後ろで、電気屋を開業した。

その時に、もうけた子供は同年代だった。
だから、Tさんの子供と、etekoは幼なじみだよ。
幼なじみと言っても、幼稚園に入る前までの短い間の記憶しかないよ。

1年くらいかな。
Tさんの子供は、男が二人の兄弟だった。

どっちとも一緒に、短い期間、遊んでたよ。

その幼なじみのTさんの息子が浪人して、仙台の予備校に通って、東北大学に合格した。
そんなもんで、etekoも仙台の予備校に通って、東北大学に入学しろっていう事になったんだけどね。

人生いろいろだね。

今になったら、こんなになっちゃった。えーんえーん