タイトルには半年ぶりと書いたけどもっと経ってるなあ。
去年の暮れに行ったのが最後だからね。
昨日、行ってみたら、こんな状態だった。
ここのお墓は、父方の母が亡くなった時に建てたんだなあ。
墓誌には、昭和52年となってる。
行ったら、お墓の周りの雑草は、綺麗に駆られてた。
ただ、墓の敷地内は、かってくれないよ。
お墓の持ち主がやってくれって事だよ。
行ったら、こんな状態だった。
当然、お花を揚げる前に、除草したよ。![]()
このお墓は、なくなった親父が建立したよ。
その親父も平成14年には鬼籍に入ってる。
その前に、祖父が昭和61年に鬼籍に入ってる。
祖父母の実家は、福島県の会津だよ。
祖父母は、幼い親父と姉を地元の親戚にあづけ、菱旗揚げようとブラジルに移住しようとした。
この時の資金に、田畑を売り払って、神戸に行ったそうだ。
ところが、最終の検査に引っかかって、渡航はできなかった。
祖父母は途方に暮れた。
今更、福島の会津には帰れないよ。
その頃、日立鉱山と日立製作所で景気の良かった、茨城県の日立市まで戻ってきたよ。
日立市に住み着いてから、親父よりも10歳も年の離れた子供を5人もうけたよ。
そんな関係で、日立市には、家族のお墓はなかったよ。
祖父と親父の関係もぎくしゃくしてて、祖母が入院した頃もお墓がなかったよ。
結局は、親父が墓をたてることになった。
親父は長男だけど、祖父母の家から、幼少の時から離れていた。
親父は会津の親戚の家にあづけられていたけど、肩身が狭かったのか、少年兵として志願して、軍隊に行った。
終戦になって、親が暮らしてる日立市に復員してきた。
その時、祖父母は、日立市の弁天町で、米屋をやっていた。
祖父母が親父を頼って、親父を日立市に呼び戻した。
何しろ、その頃は、働き手にならない親父の幼い兄弟を5人も抱えていた。
親父は、最初は、店を手伝っていた。
この頃に、母親と結婚した。
間もなく、独立して、日立鉱山の城下町の新町に米屋を開業した。
新町は、今は宮田町となってる。
親父が建てたお墓は、2区画を使ってる。
1区画で十分なのにさあ。
建ててから、親父が鬼籍にはいってからの数年間は、この敷地は、地面がむき出しの上に、細かい砂利がしいてあったよ。
そんな砂利も、直ぐに土の中に潜っちゃったよ。
後は、雑草が伸び放題だよ。
墓参りは、長年、除草作業に行くことだと思ってたよ。
除草作業は、半日がかりの重労働になってたよ。
母親も歩ける頃は、墓参りに行ってた。
それも、短い期間だったけどね。
いつも、「草刈りが大変だよ。」、ってこぼしてた。
その内に、歩けなかったetekoも除草作業に行くことになった。
親父と一緒に行った記憶は、あまりないなあ。
ずーと、ひとりで行ってるような気がする。
親父が亡くなってから数年後に、お袋が金を出して、お墓の敷地をコンクリートで打ちっぱなしにした。
除草作業は軽減したけど、それでも、つなぎ目とか、わずかな隙間に雑草は根をはるよ。
雑草、しつこいぞ。![]()
ここは東平霊園というんだね。
ここの霊園は、山の斜面を削って造成されてるよ。
入り口までの車道は,なだらかな傾斜だけど、入り口からは傾斜がきつくなるよ。
傾斜のきつくなった狭い車道の両脇には、太い桜の老木が10本くらい植わってて、狭い車道を一層狭くしてるよ。
一番狭いところは、車がすれちがえないよ。
坂を上がってくると、10台くらい止められる駐車場が3つくらいある。?
etekoの駐車場は一番上だよ。
更にそこから、坂道の歩道を上に上る。
親父のお墓は、このお霊園の最上部にあるよ。
このお墓に、足の悪くなったお袋が来たのは、親父の納骨の時だけだなあ。
あの時は、車椅子に座ったお袋を、叔父さんと一緒に引っ張りあげたよ。
その後、お袋を墓参りに連れてきた時は、駐車場に止めた車の中で待機してもらったよ。![]()
昨日、気づいたよ。
お墓から、直線で下を見ると日立市役所なんだね。
真ん中の白い建屋が市役所の新庁舎だよ。
3.11の震災したり、老朽化で、同じ敷地内に庁舎の建て替え工事をずーとやってるよ。
新庁舎の建屋が一つ完成したってとこだなあ。
今までは、2階建てのプレハブだったよ。
日立市役所の前は、6号国道が横切ってる。
そこを海の方に下ると常磐線のレールが走ってる。
その先が20メートルくらいの断崖になって、その先は太平洋だ。
国道の海側のバイパスの橋梁が海岸線の上を通ってる。
うーん、お墓から海まで、2キロもないんじゃあないのかなあ。?![]()
心霊写真をとってみた。
墓石にetekoの霊が映ってる。
でも、思ったんだ。
etekoが死んだら、誰が納骨するんだろう。
理不尽な世界にいきてるなあ。![]()













