石狩挽歌だす。 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。



石狩挽歌だよ。

北原ミレイだよ。

この歌をきくたびに、etekoの心の中にいろいろな思いが巡るよ。

ナカちゃんの親父は、北海道に行って一旗揚げると言って、幼い子供を二人残して出て行った。

その時は、ナカちゃんと高萩の叔父さんの二人兄弟だった。

ナカちゃんの母親は、四人目の子供を身ごもっていた。

まだ若かったけど、農家の家では毎日、毎日、働きづめだった。

身ごもった身体での農作業中に産気づいた。

そしたら、母体も赤ちゃんも亡くなった。

ナカちゃんの弟の叔父さんは、4、5才くらいだったみたい。

不幸は次々、やってくるよ。

ナカちゃんのお袋さんが亡くなった家は祖父母が住んでたよ。

親父さんは婿養子で入ったのかなあ。

中染では、大きな農家だったと言う。

80年ごとに行われる、村の大祭には、家に10人以上の祭りのかん関係者が泊まり込んで、酒を飲み明かしてたと言う。

大きな藁ぶき屋根の二階建ての家だったらしい。

ナカちゃんの母親が亡くなってから間もない頃に、この家は落雷で全焼したよ。

高萩の叔父さんから聞いた話では、カミナリは家の前にある大きな杉の木に落ちたみたい。
その火の粉が茅葺き屋根の実家に延焼したみたい。

屋根が茅葺きだから、すぐに燃えたみたい。
中染の山の中だよ。
その頃の消防所とも近くになかったみたい。

家は燃えるに任せて全焼しちゃったよ。
叔父さんの話しでは、その頃は屋根が茅葺きだって事もあるけど、家の中にはタバコの葉を乾燥させたんだってさあ。
乾いたタバコの葉がぎっしり家の中にあったんだってさあ。

その乾燥のタバコの葉に火が付いて、家中、よく燃えてたって、

火の粉の中を逃げ回ってたと言ってたよ。


ナカちゃんの家は、没落だよ。

ナカちゃんの親父は、北海道に行って、一旗揚げると言って、家を出て行った。

家と言っても、この時は、家は全焼だよ。

家の隣にあった、火災からまぬがれた馬小屋けん、蔵を住居にしてたよ。


etekoが4,5歳頃にこの家に行った時は、祖母か゜存命だった。


この馬小屋の家も、8畳が二間ぐらいあったよ。
そこに馬小屋と五右衛門風呂とかトイレがあったよ。
ひと家族が住むには充分なすべーすだよ。

そこに、ナカちゃんの祖母か寝たきり状態でいたよ。

祖父の方は、etekoが生まれる前に、あっちの世界に行っちゃた見たい。



そうなんだよ。


ナカちゃんの親父は家がこんな状況なんで、幼い二人の子供を残して家を出て行ったよ。

北海道に行って、一旗揚げて返ってくると言ってね。

でもすぐに音信は途絶えたよ。

それから、この親父が亡くなるまで、なんの連絡もなかったよ。

この親父は、北海道に行ったけど一旗はあげられなかったみたい。
流れ流れて、本州の山形まで帰って来たよ。
そこで再婚したみたい。

ナカちゃんの家には帰ってこなかったよ。

音信もなかったみたい。

この親父が危篤になった時、その子供から、ナカちゃんに連絡が入ったみたい。

ナカちゃんの父親は、山形に居て、今は危篤状態だってね。

連絡が入ったけど、山形に行く前に、ナカちゃんの親父は亡くなったよ。

ナカちゃんとその弟の叔父さは、幼少の時に生き別れた親父には会えなかったよ。


この兄弟のお袋さんも、二人の兄弟が幼少の時に亡くなっちゃったよ。
その後に、実家が落雷で全焼しちゃって、写真も残ってないんだってさあ。

ナカちゃんの弟の高萩の叔父さんは、そんな訳で、母親の顔をまったく知らないんだといってた。ガーン